佐治敬三

概要

 佐治敬三(さじけいぞう) 大正八(1919)年 己未(つちのとひつじ56) 十一月一日生誕 -平成十一(1999)年十一月三日逝去(八十歳)は、実業家 。

経歴

  大正八(1919)年 己未(つちのとひつじ56) 十一月一日に佐治敬三は大阪でサントリー創業者の鳥井信治郎の次男として誕生する。

 昭和十七(1942)年四月に大阪帝国大学理学部を卒業する。昭和二十年(1945年)にサントリーの前身である壽屋に入社する。昭和三十六年(1961年)に壽屋代表取締役社長に就任する。 昭和三十八年(1963年)に壽屋からサントリーに社名を変更する。 平成十一(1999)年十一月三日に佐治敬三は逝去。八十年の生涯を終えた。

宮澤喜一

概要

  宮澤喜一(みやざわきいち)大正八(1919)年 己未(つちのとひつじ56) 十月八日生誕 -平成十九(2007)年六月二十八日薨去(八十七歳)は、政治家 。

経歴

  大正八(1919)年 己未(つちのとひつじ56) 十月八日に宮澤喜一は東京で父・宮澤裕と母・ことの長男として誕生する。

 旧制武蔵高等学校を卒業する。東京帝国大学法学部政治学科を卒業する。昭和十七(1942)年一月に大蔵省に入省する。昭和二十八年(1953年)に第3回参議院議員通常選挙で広島県選挙区から出馬して当選する。

昭和四十二年(1967年)に第31回衆議院議員総選挙で出馬して当選する。通産省、外相、総務会長の要職を歴任する。平成三(1991)年十一月五日に内閣総理大臣に就任する。 平成十九(2007)年六月二十八日に宮澤喜一は薨去。八十七年の生涯を終えた。

金子兜太

概要

 金子兜太(かねことうた)大正八(1919)年己未(つちのとひつじ56)九月二十三日生誕 -平成三十(2018)二月二十日逝去(九十八歳)は、俳人。

経歴

  大正八(1919)年己未(つちのとひつじ56)九月二十三日に金子兜太は埼玉県比企郡小川町で父・金子元春と母・はるの長男として誕生する。旧制水戸高等学校を卒業する。昭和十八年(1943年)に東京帝国大学経済学部を卒業する。日本銀行に入行する。昭和四十九年(1974年)に日本銀行を定年退職する。 平成三十(2018)二月二十日に金子兜太は逝去。九十八年の生涯を終えた。

清家清

概要

 清家清(せいけきよし) 大正七(1918)年戊午(つちのえうま55)十二月 十 日生誕 -平成十七(2005)年四月八日逝去(八十六歳)は、建築家。

経歴

  大正七(1918)年戊午(つちのえうま55)十二月 十 日に清家清は京都府京都市で誕生する。

 昭和十六年(1941年)に東京美術学校(現、東京芸術大学)を卒業する。 昭和十八年(1943年)に東京工業大学を卒業する。 昭和三十七年(1962年)に 東京工業大学教授に就任する。 平成十七(2005)年四月八日に清家清は逝去。八十六年の生涯を終えた。

鳩山威一郎

概要

 鳩山威一郎(はとやまいいちろう) 大正七(1918)年戊午(つちのえうま55)十一月 十一 日生誕 -平成五(1993)年十二月十九日薨去(七十五歳)は、政治家。

経歴

  大正七(1918)年戊午(つちのえうま55)十一月 十一 日に鳩山威一郎は東京市で鳩山一郎の長男として誕生する。

  昭和十六年(1941年)に東京大学帝国大学法学部法律学科を卒業する。大蔵省に入省する。 昭和四十九年(1974年)に参議院全国区に立候補して初当選する。 昭和五十一(1976)年十二月二十四日に福田赳夫内閣の外務大臣に就任する。 平成五(1993)年十二月十九日に鳩山威一郎は薨去。七十五年の生涯を終えた。

正力亨

概要

 正力亨(しょうりきとおる) 大正七(1918)年戊午(つちのえうま55)十月二十四日生誕 -平成二十三(2011)年八月十五日逝去(九十二歳)は、 実業家。

経歴

  大正七(1918)年戊午(つちのえうま55)十月二十四日に正力亨は東京府で正力松太郎の長男として誕生する。

 昭和十七年(1942年)に慶應義塾大学経済学部を卒業する。王子製紙株式会社に入社する。 昭和三十一年(1956年)に読売新聞社に入社する。 昭和三十九年(1964年)に報知新聞社社長に就任する。同年五月に読売巨人軍球団オーナーに就任する。 昭和四十五(1970)年五月に読売新聞社社主に就任する。 平成二十三(2011)年八月十五日に正力亨は逝去。九十二年の生涯を終えた。

福井謙一

概要

 福井謙一(ふくいけんいち)大正七(1918)年戊午(つちのえうま55)十月四日生誕 -平成十(1998)年一月九日逝去(七十九歳)は、化学者。

経歴

  大正七(1918)年戊午(つちのえうま55)十月四日に福井謙一は奈良県生駒郡平城村(現、奈良市)で誕生する。

  昭和十三(1938)年三月に大阪高等学校を卒業する。 昭和十六(1941)年三月に京都帝国大学工学部工業化学科を卒業する。同年、 京都帝国大学工学部大学院に進学する。

  昭和十八(1943)年八月に 京都帝国大学工学部燃料化学科講師に就任する。昭和二十六(1951)年四月に京都大学工学部燃料化学科教授に就任する。 昭和五十六年(1981年)にノーベル化学賞を受賞する。 平成十(1998)年一月九日に福井謙一は逝去。七十九年の生涯を終えた。

中曽根康弘

概要

 中曽根康弘(なかそねやすひろ) 大正七(1918)年戊午(つちのえうま55)五月二十七日生誕 -令和元(2019)年十一月二十九日薨去(百一歳)は、政治家 。

経歴

  大正七(1918)年戊午(つちのえうま55)五月二十七日に中曽根康弘は群馬県高崎市末広町で誕生する。

 昭和十三年(1938年)に静岡高等学校文科丙類(現、静岡大学)を卒業する。 昭和十六年(1941年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業する。内務省に入省する。海軍短期現役制度により海軍主計中尉に任官する。

 昭和二十二年(1947年)に第23回衆議院議員総選挙に立候補して、全国最年少(28歳)で初当選する。 昭和三十四年(1959年)に第2次岸改造内閣の科学技術庁長官として入閣する。原子力委員会の委員長に就任する。

 昭和五十七(1982)年十一月二十七日に第71代内閣総理大臣に就任する。 昭和六十二(1987)年十一月六日に竹下登を後継総裁に指名して退陣する。 令和元(2019)年十一月二十九日に中曽根康弘は薨去。百一年の生涯を終えた。

田中角栄

概要

 田中角栄(たなかかくえい) 大正七(1918)年戊午(つちのえうま55)五月四日生誕 -平成五(1993)八月十三日逝去(七十五歳)は、政治家 、実業家。

経歴

  大正七(1918)年戊午(つちのえうま55)五月四日に田中角栄は新潟県刈羽郡二田村大字坂田(現、柏崎市)で父・田中角次と母・フメの二男として誕生する。

 昭和八年(1933年)に二田高等小学校(現:柏崎市立二田小学校)を卒業する。 昭和九(1933)年三月に上京して井上工業に 住み込みで働きながら、神田の中央工学校土木科(夜間部)に通う。

  昭和十一(1936)年三月に 中央工学校土木科を卒業する。 昭和十二(1937年)に「共栄建築事務所」を設立する。 昭和十八(1943)年十二月に田中土建工業を設立する。

  昭和二十二(1947)年四月に第23回総選挙で新たに設定された中選挙区制の新潟3区(定数5)から、進歩党が改組した民主党公認で立候補して12人中3位(39,043票)で当選する。

  昭和三十二(1957)年七月に第1次岸改造内閣で郵政大臣に就任する。 昭和四十(1965)年六月に大蔵大臣を辞任して自由民主党の幹事長に就任する。 昭和四十七(1972)年七月六日に第一次田中内閣が成立する。 昭和四十九(1974)年十二月九日に内閣総辞職となる。

  昭和五十一(1976)年二月 にロッキード事件が発生する。 昭和五十八(1983)年十月にロッキード事件の一審判決が行われる。懲役4年、追徴金5億円の実刑判決を受ける。 平成五(1993)八月十三日に田中角栄は逝去。七十五年の生涯を終えた。

福永武彦

概要

 福永武彦(ふくながたけひこ)大正七(1918)年戊午(つちのえうま55)三月十九日生誕 -昭和五十四(1979)八月十三日逝去(六十一歳)は、小説家、詩人、フランス文学者。

経歴

  大正七(1918)年戊午(つちのえうま55)三月十九日に福永武彦は福岡県筑紫郡二日市町(現、 筑紫野市二日市)で父・福永末次郎と母・トヨの長男として誕生する。

 開成中学、第一高等学校文科丙類(仏語)を卒業する。昭和十六年(1941年)に東京帝国大学文学部仏文科を卒業する。昭和二十一年(1946年)に帯広中学(現、北海道帯広柏葉高等学校)の英語教師となる。

 昭和二十九年(1954年)の長編小説『草の花』で作家としての地位を確立し、人間心理の深奥を探る多くの長編小説を発表した。 昭和五十四(1979)八月十三日に福永武彦は逝去。六十一年の生涯を終えた。