愛新覚羅溥儀

概要

愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ、アイシンギョロ・プーイー)明治三十九(1906)年丙午(ひのえうま43)二月七日生誕 – 昭和四十二(1967)年十月十七日逝去(六十一歳)は大清帝国第12代皇帝。最後の皇帝。

経歴

  明治三十九(1906)年丙午(ひのえうま43)二月七日に愛新覚羅溥儀は北京で愛新覚羅載灃(あいしんかくらさいほう)の子として誕生する。

 明治四十一年(1908年)に第12代清朝皇帝に即位する。明治四十五年(1912年)に辛亥革命により皇帝を退位する。昭和九年(1934年)に満洲国皇帝(康徳帝)に即位する。昭和二十年(1945年)に満洲国の崩壊に伴い皇帝を退位して、その後日本への亡命途中に、侵攻してきたソ連軍の捕虜となる。昭和三十四年(1959年)に模範囚として釈放される。 昭和四十二(1967)年十月十七日に愛新覚羅溥儀は逝去。六十一年の生涯を終えた。

志村喬

概要

 志村喬(しむらたかし) 明治三十八(1905)年乙巳(きのとみ42)三月十二日生誕 -昭和五十七(1982)年二月十一日逝去(七十六歳)は 、俳優。

経歴

  明治三十八(1905)年乙巳(きのとみ42)三月十二日に志村喬は兵庫県朝来郡生野町(現、 兵庫県朝来生野町)口銀谷の生野鉱山社宅で父・島崎毛登女(もとめ)と母・喜与の次男として誕生する。

 大正六年(1917年)に旧制神戸一中(現、兵庫県立神戸高等学校)に入学する。父親が宮崎へ転勤に伴い宮崎県立延岡中学校(現、宮崎県立延岡高等学校)へ転校する。大正十二年(1923年)に関西大学予科に入学する。

  父親が退職したことから学資の援助が得られなくなり、夜間の専門部英文科に転じる。大阪市水道局の臨時職員として働く。昭和九年(1934年)に新興キネマ京都撮影所に入社する。 昭和五十七(1982)年二月十一日に志村喬は逝去。七十六年の生涯を終えた。

伊藤整

概要

 伊藤整(いとうせい) 明治三十八(1905)年乙巳(きのとみ42)一月十六日生誕 -昭和四十四(1969)年十一月十五日逝去(六十四歳)は 、小説家、詩人 文芸評論家、翻訳家。

経歴

 明治三十八(1905)年乙巳(きのとみ42)一月十六日に伊藤整は北海道松前郡炭焼沢村(現、北海道松前郡松前町)で小学校教員の父・伊藤昌整と母・タマの子として誕生する。

 旧制小樽中学(現、北海道立小樽潮陵高等学校)を経て小樽高等商業学校(現、小樽商科大学)に進学する。昭和二年(1927年)に東京商科大学(現、一橋大学)本科に入学する。

 昭和六年(1931年)に 東京商科大学を退学し、『文芸レビュー』『風車』の同人と『新作家』を創刊する。昭和十年(1935年)にD・H・ローレンスの『チャタレイ夫人の恋人』を翻訳して刊行する。 昭和四十四(1969)年十一月十五日に伊藤整は逝去。六十四年の生涯を終えた。

福田赳夫

概要

 福田赳夫(ふくだたけお) 明治三十八(1905)年乙巳(きのとみ42)一月十四日生誕 -平成七(1995)年七月五日薨去(九十歳)は 、政治家。

経歴

  明治三十八(1905)年乙巳(きのとみ42)一月十四日に福田赳夫は群馬県群馬郡金古町(現、群馬県高崎市足門町)で元金古町長の父・福田善治の二男として誕生する。

 第一高等学校文科丙類仏法科を経て大正十五年(1926年)に東京帝国大学法学部法律学科仏法科に入学する。 東京帝国大学卒業後、大蔵省に入省する。昭和二十五(1950)年十一月に大蔵省を退官する。

  昭和二十七(1952)年十月に衆議院議員に無所属で立候補して当選する。 昭和四十(1965)年六月に大蔵大臣に就任する。昭和五十一(1978)年十二月に第67代内閣総理大臣に就任する。平成二(1990)年二月に政界を引退する。 平成七(1995)年七月五日に福田赳夫は薨去。九十年の生涯を終えた。

片岡球子

概要

 片岡球子(かたおかたまこ)明治三十八(1905)年乙巳(きのとみ42)一月五日生誕 -平成二十(2008)年一月十六日薨去(百三歳)は 、日本画家。

経歴

  明治三十八(1905)年乙巳(きのとみ42)一月五日に片岡球子は北海道札幌市で誕生する。

  大正十一年(1922年)に 北海道庁立札幌高等女学校(現、北海道札幌北高等学校)師範科を卒業する。大正十五年(1926年)に女子美術専門学校(現、女子美術大学)日本画科高等科を卒業する。横浜市大岡尋常高等小学校(現、横浜市立大岡小学校)に勤めながら創作を続ける。

  昭和三十年(1955年)に女子美術大学日本画科専任講師となる。 昭和四十年(1965年)に女子美術大学教授に就任する。 昭和四十一年(1966年)に愛知県立芸術大学が開校して日本画科主任教授に就任する。

 平成元年(1989年)に文化勲章を受章する。 平成二十(2008)年一月十六日に片岡球子は薨去。百三年の生涯を終えた。

三岸節子

概要

 三岸節子(みぎしせつこ) 明治三十八(1905)年乙巳(きのとみ42)一月三日生誕 -平成十一(1999)年四月十八日逝去(九十四歳)は 、洋画家。

経歴

 明治三十八(1905)年乙巳(きのとみ42)一月三日に三岸節子は愛知県中島郡起町(現、愛知県一宮市小信中島)の織物工場を営む父・吉田永三郎と母・菊の4女として誕生する。

 名古屋市の淑徳高等女学校(現、愛知淑徳高等学校)を卒業後、洋画を学ぶために上京して、本郷洋画研究所で岡田三郎助に師事する。女子美術学校(現、 女子美術大学)の2年次に編入学して首席で卒業する。

 大正十三年(1924年)に三岸好太郎と結婚する。昭和九年(1934年)に好太郎と死別する。昭和四十三年(1968年)にフランスへ移住する。 平成元年(1989年)にフランスから帰国して大磯のアトリエに定住する。平成六年(1994年)に女性洋画家として初めて文化功労者となる。 平成十一(1999)年四月十八日に三岸節子は逝去。九十四年の生涯を終えた。

古賀政男

概要

 古賀政男(こがまさお) 明治三十七(1904)年甲辰(きのえたつ41)十一月十八日生誕 -昭和五十三(1978)年七月二十五日逝去(七十三歳)は、作曲家 、ギタリスト。

経歴

  明治三十七(1904)年甲辰(きのえたつ41)十一月十八日 に古賀政男は福岡県三潴郡田口村(現、福岡県大川市)で誕生する。

 善隣商業学校を出て大阪の商店に勤めたのち、大正十二年(1923年)に明治大学予科に入学する。 明治大学マンドリン倶楽部の創設に参画する。昭和四年(1929年)に明治大学を卒業する。指導者となり音楽活動を続ける。昭和六年(1931年)に日本コロムビアの専属となる。 昭和五十三(1978)年七月二十五日に古賀政男は逝去。七十三年の生涯を終えた。

イサムノグチ

概要

 イサム・ノグチ(Isamu Noguchi、日本名:野口勇) 明治三十七(1904)年甲辰(きのえたつ41)十一月十七日生誕 -昭和六十三(1988)年十二月三十日逝去(八十四歳)は、彫刻家 、造園家、作庭家、インテリアデザイナー、舞台芸術家。

経歴

 明治三十七(1904)年甲辰(きのえたつ41)十一月十七日にイサムノグチはアメリカ合衆国カルフォルニア州ロサンゼルスで詩人の父・野口米次郎とアメリカ人作家の母・レオニー・ギルモアの子として誕生する。

 大正七(1918)年六月に母の意思で単身でアメリカへ渡る。ラ・ポート高校に通学しトップの成績で卒業する。大正十二年(1923年)にニューヨークのコロンビア大学医学部準備過程に入学する。医学部に在籍しつつレオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校の夜間の彫刻クラスに通う。

 昭和二十六年(1951年)に女優の山口淑子と結婚する。北大路魯山人に陶芸を学び、素焼きの作品制作に没頭する。昭和六十三年(1988年)に北海道札幌市のモエレ沼公園の計画に取り組む。 昭和六十三(1988)年十二月三十日にイサムノグチは逝去。 八十四年の生涯を終えた。

源田実

概要

 源田実(げんだみのる) 明治三十七(1904)年甲辰(きのえたつ41)八月十六日生誕 -平成元(1989)年八月十五日薨去(八十四歳)は、海軍軍人。

経歴

 明治三十七(1904)年甲辰(きのえたつ41)八月十六日に源田実は、広島県山県郡加計町(現、広島県山県郡安芸太田町)で酒造・農業を営む父・源田春七の次男として誕生する。

  大正十三(1924)年七月二十四日に236名中17番で海軍兵学校を卒業する。少尉候補生となる。昭和三(1928)年十二月に霞ヶ浦航空隊に入隊する。飛行学生を拝命する。

 昭和五(1930)年二月に「赤城」に乗組。同年十二月に大尉となる。(横須賀航空隊付)。昭和十六(1941)年四月一日に第一航空艦隊航空甲参謀に就任する。同年十二月八日の真珠湾攻撃に成功する。

 昭和十九(1944)年十月十五日に海軍大佐に進級する。 昭和二十(1945)年十一月二十五日に予備役編入となる。昭和二十九年(1954年)に防衛庁に入庁する。昭和三十四(1959)年七月十八日に航空幕僚長に就任する。

  昭和三十七(195962)年七月に参議院議員通常選挙に自由民主党公認で全国区から出馬して第5位で当選する。以降4回全国区から 出馬して当選 する。 平成元(1989)年八月十五日に源田実は薨去。八十四年の生涯を終えた。

武見太郎

概要

 武見太郎(たけみたろう) 明治三十七(1904)年甲辰(きのえたつ41)八月七日生誕 -昭和五十八(1983)年十二月二十四日逝去(七十九歳)は、医師。日本医師会会長 、世界医師会会長。

経歴

 明治三十七(1904)年甲辰(きのえたつ41)八月七日に武見太郎は京都府で父・武見可質と母・初の4男1女の長男として誕生する。

大正十一年(1922年)に慶応義塾大学医学部に入学する。昭和五年(1930年)に慶応義塾大学医学部を卒業する。昭和十三年(1938年)に理化学研究所に入所する。 昭和十四年(1939年)に東京銀座で武見診療所を開業する。

 昭和二十五(1950)年三月に日本医師会副会長に就任する。 昭和三十二(1957)年四月に日本医師会会長に就任する。以後連続13期25年に渡って在職する。 昭和五十八(1983)年十二月二十四日に武見太郎は逝去。七十九年の生涯を終えた。