草鹿龍之介

概要

 草鹿龍之介(くさかりゅうのすけ)明治二十五(1892)年壬辰(みずのえたつ29)九月二十五日生誕 – 昭和四十六(1971)年十一月二十三日逝去(七十九歳)は、海軍軍人。

経歴

 明治二十五(1892)年壬辰(みずのえたつ29)九月二十五日に草鹿龍之介は東京で住友本社理事の父・草鹿丁卯次郎の長男として誕生する。

 明治四十三(1910)年九月十二日に海軍兵学校に入校する。大正三(1914)年十二月一日に海軍少尉に任官する。大正五(1916)年十二月一日に海軍中尉に進級する。大正六(1917)年十二月一日に砲術学校普通科学生となる。

 大正八(1919)年十二月一日に海軍大尉に進級する。砲術学校高等科学生となる。大正十一(1922)年十一月二十日に横須賀鎮守府副官兼参謀に就任する。大正十三(1924)年十二月一日に海軍大学校甲種学生となる。

 大正十四(1925)年十二月一日に海軍少佐に進級する。昭和二(1927)年六月一日に霞ヶ浦航空隊教官兼海軍大学校教官に就任する。昭和五(1930)年十二月一日に海軍中佐に進級する。第1航空戦隊参謀に就任する。昭和六(1931)年十一月二日に軍令部出仕兼海軍省出仕となる。同年十二月一日に兼海軍大学校教官に就任する。

 昭和九(1934)年十一月十五日に海軍大佐に進級する。航空本部総務部第1課長兼海軍技術会議議員に就任する。昭和十一(1936)年十一月十六日に空母「鳳翔」の艦長に就任する。昭和十四(1939)年十一月十五日に空母「赤城」の艦長に就任する。

昭和十五(1940)年十一月十五日に海軍少将に進級する。第4連合航空隊司令官に就任する。昭和十六(1941)年四月十五日に第1航空艦隊参謀長に就任する。同年十一月十八日から十二月二十四日まで真珠湾攻撃作戦に従事する。

 昭和十七(1942)年五月二十七日から六月十四日まで東太平洋方面作戦に従事(ミッドウェイ海戦)する。同年七月十四日に第3艦隊参謀長に就任する。同年十一月二十三日に横須賀海軍航空隊司令に就任する。

 昭和十九(1944)年四月五日に連合艦隊参謀長に就任する。同年五月一日に海軍中将に進級する。同年六月にマリアナ沖海戦に従事する。同年十月にレイテ沖海戦に従事する。

 昭和二十(1945)年五月一日に海軍総隊参謀長兼連合艦隊参謀長に就任する。同年八月十七日に第5航空艦隊司令長官に就任する。同年十月十五日に予備役編入となる。昭和四十六(1971)年十一月二十三日に草鹿龍之介は逝去。七十九年の生涯を終えた。