芥川龍之介

概要

芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)明治二十五(1892)年壬辰(みずのえたつ29)三月一日生誕  -昭和二(1927)年七月二十四日逝去(三十五歳)は、小説家。号は澄江堂主人(ちょうこうどうしゅじん)、俳号は我鬼。

経歴

 明治二十五(1892)年壬辰(みずのえたつ29)三月一日に芥川龍之介は東京市京橋区入船町8丁目(現、東京都中央区明石町)で牛乳製造販売業を営む父・新原敏三と母・フクの長男として誕生する。

 東京市本所区小泉町(現、東京都墨田区両国)にある母の実家の芥川家に預けられ、伯母のフキに養育される。11歳のときに母が亡くなる。翌年に叔父・芥川道章(フクの実兄)の養子となり、芥川姓を名乗る。

 明治三十一年(1898年)に江東尋常小学校に入学する。東京府立第三中学校を卒業後、明治四十三(1910)九月に第一高等学校第一部乙類に入学する。大正二年(1913年)に東京帝国大学文科大学英文学科に入学する。

 大正三(1913)年二月に一高同期の菊池寛、久米正雄らとともに同人誌『新思潮』(第3次)を刊行する。大正五年(1916年)に東京帝国大学文科大学英文学科を20人中2番の成績で卒業する。同年十二月に海軍機関学校の嘱託教官(担当は英語)となる。

 大正八(1919)年三月に海軍機関学校の教職を辞して大阪毎日新聞社に入社する。同年三月十二日に塚本文と結婚する。大正十(1921)年三月に海外視察員として中国を訪れる。帰国後から次第に心身が衰え始め、神経衰弱、腸カタルなどを患う。

 大正十四(1925年)に文化学院文学部講師に就任する。大正十五年(1926年)に胃潰瘍、神経衰弱、不眠症が高じ、ふたたび湯河原で療養する。昭和二(1927)年七月二十四日に芥川龍之介は逝去。三十五年の生涯を終えた。