近衛文麿

概要

 近衞文麿(このえふみまろ)明治二十四(1891)年辛卯(かのとう28)十月十二日生誕 -昭和二十(1945)十二月十六日薨去(五十四歳)は、政治家。

経歴

 明治二十四(1891)年辛卯(かのとう28)十月十二日に近衛文麿は東京市麹町区(現、東京都千代田区)で公爵の父・近衛篤麿と旧加賀藩主で侯爵の前田慶寧の五女の母・衍子の間の長男として誕生する。

 学習院中等科をへて第一高等学校へ入学する。明治四十五年(1921年)に第一高等学校を卒業する。同年、東京帝国大学哲学科に入学する。その後、京都帝国大学法科大学に転学する。

 大正五(1916)年十月十一日に公爵として世襲である貴族院議員に就任する。大正八年(1919年)のパリ講和会議で全権・西園寺公望に随行する。昭和八年(1933年)に貴族院議長に就任する。同年に近衞を中心とした政策研究団体として昭和研究会が創設される。

 昭和十二(1937)年六月四日に第一次近衛内閣を組閣する。昭和十五(1940)年七月二十二日に第二次近衛内閣を組閣する。昭和十六(1941)年七月十八日に第三次近衛内閣を組閣する。同年十月十八日に近衛内閣は総辞職する。

 昭和二十(1945)年八月十五日に日本軍は無条件降伏をする。同年八月十七日に東久邇宮内閣が組閣され、近衛は副総理格の無任所国務大臣として入閣する。同年十月五日に東久邇宮内閣が総辞職したことにより近衞は私人となる。同年十二月六日に、GHQからの逮捕命令が伝えられ、A級戦犯として極東国際軍事裁判で裁かれることが決定する。同年十二月十六日に近衛文麿は青酸カリによる服毒自殺で薨去。五十四年の生涯を終えた。