熊沢寛道

概要

 熊沢寛道(くまざわひろみち)明治二十二(1889)年己丑(つちのとうし26)十二月十八日生誕 -昭和四十一(1966)年六月十一日逝去(七十六歳)は帝位請求者。

経歴

 明治二十二(1889)年己丑(つちのとうし26)十二月十八日に熊沢寛道は愛知県で誕生する。養父・熊沢大然は明治時代に南朝皇裔承認の請願を行っていた。養父の死後、大正九年(1920年)に熊沢は南朝第118代天皇としてひそかに即位したとされる。

 昭和二十(1945)年十一月にGHQのマッカーサー総司令官あてに請願書を送る。その嘆願書が丸の内郵船ビル総司令部翻訳課の担当中尉と親しい雑誌『ライフ』記者の目に止まる。

 昭和二十一(1946)年一月にアメリカの記者5名とGHQ将校が5時間取材して、その記事は『ライフ』、AP通信、ロイターなどで報道され、日本の新聞各社が彼を熊沢天皇と呼んで取り上げたので、熊沢は一躍有名人となる。同年五月に政治団体「南朝奉戴国民同盟」を設立して、全国各地を遊説する。熊沢は南朝の正系が自分であることを説き、昭和天皇の全国巡幸の後を追い、面会と退位を要求したが拒否される。

 昭和二十六(1951)年一月に東京地方裁判所に「天皇裕仁(昭和天皇)は正統な南朝天皇から不法に帝位を奪い国民を欺いているのであるから天皇に不適格である」と訴える。「天皇は裁判権に服さない」という理由で棄却される。

 昭和三十二年(1957年)に尊信天皇に自称天皇を譲位し、法皇を自称する。昭和三十五年(1960年)の第29回衆議院議員総選挙では天皇廃止論を主張したという理由で日本共産党の神山茂夫の支持を表明した。

 昭和四十一(1966)年六月十一日に熊沢寛道は逝去。七十六年の生涯を終えた。


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