孫文

概要

 孫文(そんぶん)清同治五年丙寅(ひのえとら3)十月初六日(1866年11月12日)生誕-民国十四(1925)年三月十二日逝去(五十八歳)は、中華民国の国父・政治家・革命家。初代中華民国臨時大総統。中国国民党総理。

経歴

清同治五年丙寅(ひのえとら3)十月初六日(1866年11月12日)に清国広東省香山県翠亨村(現、中山市)で農家の父・孫道川と母・陽氏の子として誕生。9歳にして父を失う。

 12歳のとき、地域信仰の象徴であった洪聖大王木像を地元の子供らと壊したことから、兄の監督下に置かれることが決まる。当時のハワイ王国にいた兄の孫眉を頼り、1878年にオアフ島ホノルルに移住。同地のイオラニ・スクールを卒業。

 帰国後、イギリスの植民地の香港にある香港西医書院(香港大学の前身)で医学を学びつつ革命思想を抱くようになり、ポルトガルの植民地のマカオで医師として医院を開業する。

 清仏戦争の頃から政治問題に関心を抱き、1894年1月にハワイで興中会を組織した。翌年の日清戦争の終結後に広州での武装蜂起を企てたが、密告で頓挫し、日本に亡命した。1897年に宮崎滔天(みやざきとうてん)紹介によって政治団体玄洋社の頭山満と出会い、頭山を通じて平岡浩太郎から東京での活動費と生活費の援助を受けた。また、住居である早稲田鶴巻町の2千平方メートルの屋敷は犬養毅が斡旋した。

 1899年に義和団の乱が発生。1900年に孫文は恵州で再度挙兵するが失敗に終わった。のちアメリカを経てイギリスに渡り、一時清国公使館に拘留され、その体験を『倫敦被難記』として発表し、世界的に革命家として有名になる。

 1904年に清朝打倒活動の必要上「1870年11月、ハワイのマウイ島生まれ」扱いでアメリカ国籍を取得。 以後、革命資金を集める為、世界中を巡る。孫文の思想の根源に日露戦争における日本の勝利があるといわれる。

 長い間、満州民族の植民地にされていた漢民族の孫文は、「独立したい」「辮髪(べんぱつ)もやめたい」と言ってきた。同年、宮崎滔天らの援助で中国同盟会を結成。ここで東京に留学中の蒋介石と出会う。

 1911年10月10日に、武昌起義(ぶしょうきぎ)が起き、各省がこれに呼応して独立を訴える辛亥革命に発展した。当時、孫文はアメリカにいた。独立した各省は武昌派と上海派に分かれ革命政府をどこに置くか、また革命政府のリーダーを誰にするかで争ったが、孫文が1911年12月25日に上海に帰着すると、革命派はそろって孫文の到着に熱狂し、1912年1月1日に孫文を臨時大総統とする中華民国が南京に成立した。

 1915年に袁世凱は共和制を廃止、帝政を復活させ、自らが中華帝国大皇帝に即位する。直ちに反袁・反帝政の第三革命が展開される。翌年、袁世凱は病死するが、段祺瑞(だんきずい)後継者となる。この頃、各地で地方軍人が独自政権を樹立し、「軍閥割拠」の状況であった。

 孫文は一時的に再び日本へ亡命した。日本亡命時には「明治維新は中国革命の第一歩であり、中国革命は明治維新の第二歩である」との言葉を犬養毅へ送っている。民国十四(1925)年三月十二日に孫文は逝去。五十八年の生涯を終えました。


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