明石元二郎

概要

 明石元二郎(あかしもとじろう)元治元年甲子(きのえね1)八月一日(1864年9月1日)生誕 -大正八(1919)年十月二十六日薨去(五十五歳)は明治・大正期の陸軍軍人。階級は陸軍大将。位階勲等功級爵位は正三位勲一等功三級男爵。第七代台湾総督。

経歴

 元治元年甲子(きのえね1)八月一日(1864年9月1日)に福岡藩大名町で福岡藩士・明石助九郎の次男とし誕生。

 陸軍幼年学校を経て、明治十六(1883)年十二月二十五日に陸軍士官学校(旧陸士6期)を卒業し、同日、歩兵少尉に任じられる。明治二十二年(1889年)に陸軍大学校(5期)を卒業。

 ドイツ留学、仏印出張、米西戦争のマニラ観戦武官を経て、明治三十四年(1901年)にフランス公使館付陸軍武官に就任。明治三十五年(1902年)にロシア帝国公使館付陸軍武官に転任。のちに首相となる田中義一陸軍武官から業務を引き継ぐ。

 明治三十七年(1904年)に日露戦争が開戦すると駐ロシア公使館は中立国スウェーデンのストックホルムに移り、明石は以後この地を本拠として活動する。日露開戦と同時に参謀本部直属のヨーロッパ駐在参謀という臨時職に就き、ストックホルムに移った際にも児玉源太郎から、「お前を信じているぞ」という趣旨の激励の電報が届いた。

 日露戦争中全般にわたり、ロシア国内の政情不安を画策してロシアの継戦を困難にし、日本の勝利に貢献することを意図した明石の活動は、後に、明石自身が著した『落花流水』などを通じて巷にも日本陸軍最大の謀略戦と称えられるようになった。

 明治四十三(1910)年七月に寺内正毅朝鮮統監の下で憲兵司令、警務総長を兼務し、朝鮮併合の過程で武断政治を推し進めた。大正七(1918)年七月に第七代台湾総督に就任。陸軍大将に進級する。

 台湾総督の次は総理大臣にと周囲からは期待されていた明石元二郎は大正八(1919)年十月二十六日に病気により薨去。五十五年の生涯を終えました。


三国志演義 第一巻
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三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

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