徳富蘇峰

概要

 徳富蘇峰(とくとみそほう)文久三年癸亥(みずのとい60)一月二十五日(1863年3月14日)生誕 -昭和三十二(1957)年十一月二日逝去(九十四歳)は、明治から昭和戦後期にかけてのジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。蘇峰は号。本名は猪一郎(いいちろう)。字は正敬(しょうけい)

経歴

 文久三年癸亥(みずのとい60)一月二十五日(1863年3月14日)に肥後国上益城郡杉堂村(現、熊本県上益城郡益城町上陳)の母の実家(矢嶋家)にて、熊本藩の一領一疋の郷士・徳富一敬の第五子・長男として誕生。父の一敬は横井小楠に師事した人物で、一敬・小楠の妻同士は姉妹関係にあった。

 明治四年(1871年)から兼坂諄次郎に学んだ。読書の力は漸次ついてきて、『四書』『五経』『左伝』『史記』『歴史網鑑』『国史略』『日本外史』『八家文』『通鑑網目』なども読み、兼坂から習うべきものも少なくなった。明治五年(1872年)に熊本洋学校に入学したが、年少のため退学させられた。その後明治八年(1875年)に再入学する。

 熊本洋学校では漢訳の『新約・旧約聖書』などにふれて西洋の学問やキリスト教に興味を寄せ、明治九年(1876年)に熊本バンド(花岡山の盟約)の結成に参画、これを機に漢学・儒学から距離をおくようになった。

 明治九(1876)八月に上京し、官立の東京英語学校に入学するも十月末に退学、京都の同志社英学校に転入学した。明治十三年(1880年)に学生騒動に巻き込まれて同志社英学校を卒業目前に中退した。

 明治十五(1882)年三月に元田永孚(もとだながざね)の斡旋で入手した大江村の自宅内に、父・一敬とともに私塾「大江義塾」を創設する。明治十九年(1886年)の閉塾まで英学、歴史、政治学、経済学などの講義を通じて青年の啓蒙に努めた。

 蘇峰のいう「平民主義」は、生産機関を中心とする自由な生活社会・経済生活を基盤としながら、個人に固有な人権の尊重と平等主義が横溢する社会の実現をめざすという、「腕力世界」に対する批判と生産力の強調を含むものであった。

 明治二十(1887)年二月に東京赤坂榎坂に姉・初子の夫・湯浅治郎の協力を得て言論団体「民友社」を設立し、月刊誌『国民の友』を主宰した。この誌名は、蘇峰が同志社英学校時代に愛読していたアメリカの週刊誌『ネーション』から採用したものだといわれている。

 明治二十三(1890)年二月に蘇峰は民友社とは別に国民新聞社を設立して『國民新聞』を創刊し、以後、明治・大正・昭和の3代にわたってオピニオンリーダーとして活躍することとなる。

 明治二十九年(1896年)より海外事情を知るための世界旅行に出かけた。蘇峰は、渡欧する船のなかで「速やかに日英同盟を組織せよ」との社説を『国民之友』に掲載した。ロンドンでは、イギリスの新聞界と密に接触し、日英連繋の根回しをおこなっている。このころから蘇峰は、平民主義からしだいに強硬な国権論・国家膨脹主義へと転じていった。

 蘇峰はこののち山縣有朋や桂太郎との結びつきを深め、明治三十四(1901)年六月に第一次桂内閣の成立とともに桂太郎を支援して、その艦隊増強案を支持し続け、明治三十七年(1904年)の日露戦争の開戦に際しては国論の統一と国際世論への働きかけに努めた。戦争が始まるや、蘇峰の支持した艦隊増強案が正しかったと評価され、『國民新聞』の購読者数は一時飛躍的に増大した。

 大正七(1918)年五月に蘇峰は「修史述懐」を著述して年来持ちつづけた修史の意欲を公表した。同年七月に55歳となった蘇峰は『近世日本国民史』の執筆に取りかかって『國民新聞』にこれを発表した。『近世日本国民史』は、日本の正しい歴史を書き残しておきたいという一念から始まった蘇峰のライフワークであり、当初は明治初年以降の歴史について記す予定であったが、明治を知るには幕末、幕末を知るには江戸時代が記されなければならないとして、結局、織田信長の時代以降の歴史を著したものとなった。

 昭和六年(1931年)に『新成簀堂叢書』の刊行を開始した。同年に起こった満州事変以降、蘇峰はその日本ナショナリズムないし皇室中心主義的思想をもって軍部と結んで活躍、「白閥打破」、「興亜の大義」、「挙国一致」を喧伝した。昭和二十(1945)年七月にポツダム宣言が発せられたが、蘇峰は受諾に反対。昭和天皇の非常大権の発動を画策したが、実現しなかった。

 戦前の日本における最大のオピニオンリーダーであった蘇峰は、終戦後にA級戦犯容疑をかけられたが、老齢と三叉神経痛のためにGHQにより自宅拘禁とされ、後に不起訴処分が下された。公職追放処分を受けたため、昭和二十一(1946)年二月二十三日に貴族院勅選議員などの公職を辞して静岡県熱海市に蟄居した。

 昭和二十六(1951)年二月に終戦以来中断していた『近世日本国民史』の執筆を再開し、昭和二十七(1952)年四月二十日に全巻完結した。『近世日本国民史』は、史料を駆使し、織田信長の時代から西南戦争までを記述した全100巻の膨大な史書であり、大正七年(1918年)の寄稿開始より34年の歳月が費やされている。高齢のため、98巻以降は口述筆記された。

 昭和三十二(1957)年十一月二日に徳富蘇峰は逝去。九十四年の生涯を終えました。


三国志演義 第一巻
三国志演義 第二巻
三国志演義 第三巻
三国志演義 第四巻
三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

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