白洲正子

概要

 白洲正子(しらすまさこ)明治四十三(1910)年庚戌(かのえいぬ47)一月七日生誕 -平成十(1998)年十二月二十六日逝去(八十八歳)は、随筆家。

経歴

  明治四十三(1910)年庚戌(かのえいぬ47)一月七日 に白洲正子は東京府東京市麴町区(現、東京都千代田区)で父・樺山愛輔と母・常子の次女として誕生する。

 大正十三年(1924年)に学習院女子部初等科を修了する。渡米してニュージャージー州のハートリッジ・スクールに入学する。 昭和三年(1927年)に ハートリッジ・スクールを卒業する。昭和四年(1929年)に白洲次郎と結婚する。昭和三十九年(1964年)に随筆『能面』で第15回読売文学賞を受賞する。 平成十(1998)年十二月二十六日に白洲正子は逝去。八十八 年の生涯を終えた。

松本清張

概要

松本清張(まつもとせいちょう) 明治四十二(1909)年己酉(つちのととり46)十二月二十一日生誕 -平成四(1992)年八月四日逝去(八十二歳)は、 作家。

経歴

  明治四十二(1909)年己酉(つちのととり46)十二月二十一日に松本清張は、福岡県企救郡板櫃村(現、福岡県北九州市小倉北区)で父・松本峯太郎と母・タニの長男として誕生する。

 大正十三年(1924年)に板櫃尋常高等小学校を卒業する。株式会社川北電気企業社(現、パナソニック エコシステムズ株式会社の源流)小倉出張所の給仕に就職する。昭和二年(1927年)に出張所が閉鎖され失職する。 小倉市の高崎印刷所に石版印刷の見習い工となる。昭和十二(1937)年二月に印刷所を退職して自営の版下職人となる。

  昭和十四年(1939年)に朝日新聞西部支社(現、西部本社)の広告部嘱託となる。 昭和十八年(1943年)に広告部意匠係に所属する正社員となる。昭和二十八年(1953年)に「或る『小倉日記』伝」で第28回芥川賞を受賞する。同年十二月一日付で朝日新聞東京本社に転勤となる。

 昭和三十一(1956)年五月三十一日付で朝日新聞社を退社する。 平成四(1992)年八月四日に松本清張は逝去。八十二年の生涯を終えた。

埴谷雄高

概要

 埴谷雄高(はにやゆたか) 明治四十二(1909)年己酉(つちのととり46)十二月十九日生誕 -平成九(1997)年二月十九日逝去(八十七歳)は、政治・思想評論家、作家。

経歴

 明治四十二(1909)年己酉(つちのととり46)十二月十九日に埴谷雄高は台湾の新竹で父・三郎の子として誕生する。

 昭和三年(1928年)に日本大学予科に編入学する。 昭和五年(1930年)に日本大学を退学する。 昭和六年(1931年)に日本共産党に入党する。 昭和二十一年(1946年)に雑誌『近代文学』を創刊する。 平成九(1997)年二月十九日に埴谷雄高は逝去。八十七年の生涯を終えた。

土門拳

概要

 土門拳(どもんけん) 明治四十二(1909)年己酉(つちのととり46)十月二十五日生誕 -平成二(1990)年九月十五日逝去(八十歳)は、写真家。

経歴

 明治四十二(1909)年己酉(つちのととり46)十月二十五日に土門拳は山形県飽海郡酒田町鷹町(現、山形県酒田市相生町)で父・熊造と母・とみえの長男として誕生する。

  昭和三年(1928年)に旧制神奈川県立第二中学校(現、神奈川県立横浜翠嵐高等学校)を卒業する。同年、日本大学専門部法科に進学する。同大学を中退して逓信省の倉庫用務員になる。

 昭和八年(1933年)に遠縁にあたる宮内幸太郎の写真場に内弟子として住み込み、写真の基礎を学ぶ。昭和四十六年(1971年)に『古寺巡礼』の業績に対し第19回菊池寛賞を受賞する。 平成二(1990)年九月十五日に土門拳は逝去。八十年の生涯を終えた。

大原総一郎

概要

大原総一郎(おおはらそういちろう) 明治四十二(1909)年己酉(つちのととり46)七月二十九日生誕 -昭和四十三(1968)年七月二十七日逝去(五十八歳)は、 実業家。

経歴

  明治四十二(1909)年己酉(つちのととり46)七月二十九日に岡山県倉敷市で倉敷紡績社長の父・大原孫三郎と母・寿恵子の長男として誕生する。

 昭和四(1929)年三月に第六高等学校文科乙類を卒業する。昭和七(1932)年三月に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業する。同年十一月に倉敷絹織(現、クラレ)に傭員として入社する。

  昭和十四(1939)年三月に倉敷絹織の社長に就任する。 昭和十六(1941)年一月に倉敷紡績の社長に就任する。昭和二十六(1951)年六月に大原美術館でマチス展、同年十一月にピカソ展を開催する。 昭和四十三(1968)年七月二十七日に大原総一郎は逝去。五十八年の生涯を終えた。

太宰治

概要

 太宰治(だざいおさむ)明治四十二(1909)年己酉(つちのととり46)六月十九日生誕 -昭和二十三(1948)年六月十三日逝去(三十八歳)は、小説家。

経歴

 明治四十二(1909)年己酉(つちのととり46)六月十九日に太宰治は青森県北津軽郡金木町(現、青森県五所川原市)で大地主の父・津島源右衛門と母・たねの六男として誕生する。

 大正十二(1923)年四月に青森県立青森中学校に入学する。昭和五年(1930年)に弘前高等学校文科甲類を卒業する。同年、東京帝国大学文学部仏文学科に入学する。昭和二十二(1947)年十二月に長編小説『斜陽』を単行本として出版してベストセラーとなる。 昭和二十三(1948)年六月十三日に太宰治は玉川上水で入水して逝去。三十八年の生涯を終えた。

中島敦

概要

 中島敦(なかじまあつし) 明治四十二(1909)年己酉(つちのととり46)五月五日生誕 -昭和十七(1942)年十二月四日逝去(三十三歳)は小説家 。

経歴

 明治四十二(1909)年己酉(つちのととり46)五月五日に中島敦は東京府四谷区四谷箪笥町59番地(現、東京都新宿区四谷三栄町)で、父・中島田人(たびと)と母・チヨの長男として誕生する。

 第一高等学校を経て昭和五(1930)年四月に東京帝国大学文学部国文学科に入学する。 東京帝国大学文学部を卒業後、横浜高等女学校(現、横浜学園高等学校)で教員となる。

 昭和十七(1942)年(17年)2月号の『文學界』に、「山月記」と「文字禍」が「古譚」と題して掲載される。 昭和十七(1942)年十二月四日に中島敦は逝去。三十三年の生涯を終えた。

大岡昇平

概要

 大岡昇平(おおおかしょうへい)明治四十二(1909)年己酉(つちのととり46)三月六日生誕 -昭和六十三(1988)年十二月二十五日逝去(七十九歳)は小説家、評論家、フランス文学の翻訳家・研究者。

経歴

  明治四十二(1909)年己酉(つちのととり46)三月六日に大岡昇平は東京市牛込区(現、東京都新宿区)新小川町で株式仲買店に勤める父・貞三郎と母・つるの長男として誕生する。

 大正十(1921)年四月に青山学院中学部に入学する。 大正十(1925)年十二月に成城第二中学校に編入する。昭和四年(1929)年三月に成城高等学校を卒業する。同年四月に京都帝国大学文学部文学科に入学する。

  昭和七年(1932)年三月に 京都帝国大学文学部文学科を卒業する。 昭和十三年(1938)年十月に帝国酸素の翻訳係として入社する。 昭和十九年(1944)年三月に東部第二部隊に入営する。

  昭和二十四年(1949)年四月に明治大学仏文学講師に就任する。 昭和二十七年(19)年二月に『野火』を創元社より刊行する。同年五月に読売文学賞を受賞する。 昭和六十三(1988)年十二月二十五日に大岡昇平は逝去。七十九 年の生涯を終えた。

東山魁夷

概要

 東山魁夷(ひがしやまかいい) 明治四十一(1908)年戊申(つちのえさる45)七月八日生誕 – 平成十一(1999)年五月六日逝去(九十歳)は、画家 、版画家、著述家。

経歴

 明治四十一(1908)年戊申(つちのえさる45)七月八日に東山魁夷は神奈川県横浜市で船具商を営んでいた父・浩介と母・くにの次男として誕生する。

 兵庫県立第二神戸中学校(現、兵庫高校)在学中から画家を志し、東京美術学校(現、東京藝術大学)日本画科へ進学する。昭和四年(1929年)の第10回帝展に『山国の秋』を初出品し、初入選を果たす。

 昭和八年(1933年)にドイツのベルリン大学(現、フンボルト大学)に留学する。昭和二十二年(1947年)の第3回日展で、千葉県君津市の鹿野山からの眺めを描いた『残照』が特選を得て日本国政府に買い上げられる。 平成十一(1999)年五月六日に東山魁夷は逝去。九十年の生涯を終えた。

井深大

概要

井深大(いぶかまさる) 明治四十一(1908)年戊申(つちのえさる45)四月十一日生誕 – 平成九(1997)年十二月十九日薨去(八十九歳)は、弁理士、電子技術者、実業家。

経歴

 明治四十一(1908)年戊申(つちのえさる45)四月十一日に井深大は栃木県上都賀郡日光町(現、栃木県日光市)で青銅技師で水力発電所建設技師の父・井深甫の子として誕生する。

 兵庫県立第一神戸中学校(現、 兵庫県立神戸高等学校)、第一早稲田高等学院を経て、早稲田大学理工学部を卒業する。 。 早稲田大学卒業後、写真化学研究所(Photo Chemical Laboratory、通称:PCL) に入社する。

 昭和二十一年(1946年)に東京通信工業(現、ソニー)株式会社を創業して代表取締役専務に就任する。 昭和二十五年(1950年)に代表取締役社長に就任する。 平成九(1997)年十二月十九日に井深大は薨去。八十九年の生涯を終えた。