池田勇人

概要

池田勇人(いけだはやと) 明治三十二(1899)年己亥(つちのとい36)十二月三日生誕 -昭和四十(1965)年八月十三日薨去(六十五歳)は、大蔵官僚。政治家。

経歴

  明治三十二(1899)年己亥(つちのとい36)十二月三日に池田勇人は広島県豊田郡吉名村(現、広島県竹原市)で父・池田吾一郎と母・うめの子として誕生する。

 第五高等学校を経て京都帝国大学法学部を卒業する。京都帝国大学法学部卒業後、高等試験に合格して大正十五年(1925年)に大蔵省へ入省する。昭和二十四年(1949年)に第24回衆議院議員総選挙に旧広島2区から出馬して初当選を果たす。

  昭和二十四(1949)年二月十六日に池田は当選1回で第三次吉田内閣の大蔵大臣に抜擢される。 昭和二十五(1950)年 三月一日に「中小企業の一部倒産もやむを得ない」、同年十二月七日に「貧乏人は麦を食え」と発言したとして問題となる。

 安保闘争と差し違えで倒れた岸内閣の後継として、池田は昭和三十五(1960)年7月十九日に内閣総理大臣に就任する。昭和三十九(1964)年九月九日に国立がんセンターへ喉頭癌の治療のため入院する。すでに癌は相当進行していたといわれる。病名は本人に告知されることなく、「前がん症状」と発表される。同年十月十五日に退陣を表名する。 昭和四十(1965)年八月十三日に池田勇人は薨去。六十五年の生涯を終えた。

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