早川徳次

概要

早川徳次(はやかわとくじ) 明治二十六(1893)年癸巳(みずのとみ30)十一月三日生誕 -昭和五十五(1980)年六月二十四日逝去(八十六歳)は実業家、発明家。

経歴

 明治二十六(1893)年癸巳(みずのとみ30)十一月三日に早川徳次は東京市日本橋久松町42番地(現・東京都中央区日本橋久松町)でちゃぶ台製造販売業の父・早川政吉と母・花子の三男として誕生する。

 仕事の無理が祟って花子が胸を患ったため、早川家に出入りしていた肥料屋の出野家の養子となる。養母が急逝し出野家は後妻を迎えるが、徳次は継養母から厳しく当たられる。錺屋(かざりや:金属細工業)職人の坂田芳松の店で丁稚奉公になる。明治三十四(1901)年九月十五日に出野家を出る。

 明治四十二(1909)年四月十五日に、7年7か月の年季奉公を勤め上げ、その後、1年間のお礼奉公を終えて、徳次は一人前の錺職人となる。大正元(1912)年九月十五日に本所区松井町1丁目30番地(現・江東区新大橋)の民家を借り従業員2名の金属加工業を開業する。

 大正四年(1915年)に早川姓に復籍して「早川式繰出鉛筆(シャープペンシル)」の名称で特許を申請する。兄の政治と「早川兄弟(けいてい)商会金属文具製作所」を設立して販売を開始する。第一次世界大戦で品薄となった欧米で売れるようになり、海外での高い評価が伝わると日本国内でも注文が殺到するようになる。

 大正十二(1923)年九月一日に関東大震災が発生する。2人の子供は死亡、文子も重傷を負い、工場も焼け落ちてしまう。罹災した従業員70名と被害を免れた亀戸の長屋で生活し、事業復興のため奔走していたが、重傷の妻を亡くす。関東地区で販売を委託していた日本文具製造(後のプラトン文具:1954年廃業)から、特約販売の解消及び「特約契約金1万円と融資金1万円の計2万円」の即時返済を迫られる。早川兄弟商会を解散して事業を全て日本文具製造に譲渡することを決意する。

  大正十三(1924)年九月一日に大阪府東成郡田辺町大字猿山25番田(現・大阪市阿倍野区長池町)に「早川金属工業研究所」を設立する。当初は万年筆の付属金具の製造販売を行っていたが、新規事業を模索して海外で実用化されていたラジオに興味を持つ。

 大正十四(1925)年四月に国産第1号機の鉱石ラジオ受信機の開発に成功する。ラジオは爆発的に売れ、“シャープ”というブランド名を付ける。昭和四十五(1970)年一月一日に早川電機工業株式会社から「シャープ株式会社」へ社名を変更する。 昭和五十五(1980)年六月二十四日に早川徳次は逝去。八十六年の生涯を終えた。

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