山口多聞

概要

 山口多聞(やまぐちたもん)明治二十五(1892)年壬辰(みずのえたつ29)八月十七日生誕 -昭和十七(1942)年六月五日逝去(四十九歳)は、海軍軍人。

経歴

 明治二十五(1892)年壬辰(みずのえたつ29)八月十七日に東京市小石川区で旧松江藩士の父・山口宗義の三男として誕生する。

 明治四十五(1912)年七月十七日に海軍兵学校を卒業する。少尉候補生となる。大正二(1913)年十二月一日に少尉に任官する。大正四(1915)年十二月十三日に中尉に進級する。大正七(1918)年十二月一日に大尉に進級する。

 大正十年(1921)年にアメリカ合衆国のプリンストン大学に留学する。大正十三(1924)年十二月一日に少佐に進級する。大正十五年(1926年)に海軍大学校24期甲種学生を次席で卒業する。同年十二月一日に第一潜水艦戦隊参謀に就任する。

 昭和三(1928)年二月二十日に軍令部参謀に就任する。 同年十二月一日に中佐に進級する。昭和四年(1929年)にロンドン海軍軍縮会議全権委員随員となる。昭和五(1930)年十一月十五日に連合艦隊兼第一艦隊参謀に就任する。

 昭和七(1932)年十一月十五日に海軍大学校教官に就任する。同年十二月一日に大佐に進級する。昭和九年(1934年)に在米大使館付武官に就任する。昭和十一(1936)年十二月一日に軽巡洋艦「五十鈴」艦長に就任する。

 昭和十二(1937)年十二月一日に戦艦「伊勢」艦長に就任する。昭和十三(1938)年十一月十五日に少将に進級する。同年十二月十五日に第五艦隊参謀長に就任する。

 昭和十五(1940)年一月十五日に第一連合航空隊司令官に就任する。同年十一月一日に第二航空戦隊司令官に就任する。昭和十七(1942)年六月五日にミッドウェー海戦で「飛龍」に乗艦して戦死する。昭和十七(1942)年六月五日付で海軍中将に進級する。山口多聞は四十九年の生涯を終えた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA