伊藤整一

概要

 伊藤整一(いとうせいいち)明治二十三(1890)年庚寅(かのえとら27)七月二十六日生誕 -昭和二十(1945)年四月七日薨去(五十四歳)は、海軍軍人。最終階級は海軍大将。

経歴

 明治二十三(1890)年庚寅(かのえとら27)七月二十六日に伊藤整一は、福岡県三池郡高田町(現、福岡県みやま市)で父・梅太郎の長男として誕生する。

 明治四十四(1911)年七月に海軍兵学校を15番で卒業する(39期)。大正元年(1912)年十二月に海軍少尉に任官する。大正三(1914)年十二月に海軍中尉に進級する。大正六(1917)年十二月に海軍大尉に進級する。

 大正十二(1923)年十月に海軍大学校をを次席で卒業する。同年十二月に海軍少佐に進級する。昭和二(1927)年五月にアメリカに派遣される。同年十二月に海軍中佐に進級する。昭和六(1931)年十二月一日に海軍大佐に進級する。

 昭和八(1933)年十一月十五日に巡洋艦「木曽」の艦長に就任する。昭和九(1934)年四月一日に人事局第一課長に就任する。昭和十(1935)年十一月十五日に巡洋艦「最上」の艦長に就任する。昭和十一(1936)年十二月一日に戦艦「榛名」の艦長に就任する。

 昭和十二(1937)年十一月十五日に第二艦隊参謀長に就任する。同年十二月一日に海軍少将に進級する。昭和十三(1938)十二月十五日に海軍省人事局長に就任する。昭和十五(1940)年十二月二十八日に第8戦隊司令官に就任する。

 昭和十六(1941)年四月十日に連合艦隊参謀長兼第一艦隊参謀長に就任する。同年八月十一日に軍令部次長に就任する。同年十月十五日に海軍中将に進級する。同年十月十八日に海軍大学校長に就任する。

 昭和十九(1944)年十二月二十三日に第二艦隊司令長官に親補される。昭和二十(1945)年四月七日に菊水作戦における戦艦「大和」沈没の際に艦に残り戦死する。戦死後、同日付で海軍大将に特進する。伊藤整一は五十四年の生涯を終えた。

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