緒方竹虎

概要

 緒方竹虎(おがたたけとら)明治二十一(1888)年戊子(つちのえね25)一月三十日生誕 – 昭和三十一(1956)年一月二十八日薨去(六十七歳)は、ジャーナリスト、政治家。

経歴

 明治二十一(1888)年戊子(つちのえね25)一月三十日に緒方竹虎は山形県山形市旅籠町で山形県書記官の父・緒方道平の三男として誕生する。

 福岡師範学校附属小学校から福岡県立中学修猷館に入学する。修猷館を卒業後、東京商業学校に入学する。同校を退学して、東京高商退学生受け入れを表明していた早稲田大学専門部の政治経済科に編入する。政治結社玄洋社の最高実力者・頭山満の門に出入りする。

 明治四十四(1911)年七月に早稲田大学専門部を卒業する。同年十一月に大阪朝日新聞社に入社する。イギリス留学から帰国後の大正十一(1922)年七月に大阪朝日新聞社東京通信部長に就任する。

 昭和十一(1936)年五月に朝日新聞社主筆兼代表取締役専務取締役に就任する。東京本社、大阪本社、中部本社(現名古屋本社)、西部本社の4社編集局を統括させ、編集会議を設置して議長となり、討議の上、社論を決め、全責任を主筆が負うことにした。

 昭和十九(1944)年七月に緒方は朝日新聞社を退社して小磯内閣国務大臣兼情報局総裁に就任する。昭和二十(1945)年十月に東久邇宮内閣総辞職後、緒方は同年十二月にA級戦犯容疑者指名となる。昭和二十一(1946)年八月に公職追放となる。昭和二十二(1947)年九月に戦犯容疑解除となる。昭和二十六(1951)年八月に公職追放解除となる。

 昭和二十七(1952)年十月に第25回衆議院議員総選挙で中野正剛の地盤を引き継いで福岡1区から出馬し、地元財界の支持を得て当選する。第4次吉田内閣で国務大臣兼内閣官房長官、副総理に任命される。昭和二十八(1953)年五月成立の第4次吉田内閣で副総理に就任する。

 昭和三十一(1956)年一月二十八日に緒方竹虎は薨去。六十七年の生涯を終えた。


三国志演義 第一巻
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三国志演義 Ⅰ

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