谷崎潤一郎

概要

 谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)明治十九(1886)年丙戌(ひのえいぬ23)七月二十四日生誕- 昭和四十(1965)年七月三十日逝去(七十九歳)は、小説家。

経歴

 明治十九(1886)年丙戌(ひのえいぬ23)七月二十四日に東京市日本橋区蛎殻町二丁目14番地(現・東京都中央区日本橋人形町一丁目7番10号)で父・谷崎倉五郎と母・関の長男として誕生する。

 明治二十五年(1892年)に 日本橋阪本小学校尋常科へ入学する。明治三十年(1897年) 同小学校尋常科を卒業する。同年、高等科に入学する。稲葉清吉先生の影響で文学に目覚める。

 明治三十四年(1901年)に 同高等科を卒業する。同年、東京府立第一中学校(現・日比谷高等学校)に入学する。明治三十八年(1905年)に 同校を卒業する。同年、第一高等学校英法科に入学する。

 明治四十一年(1908年)に第一高等学校英法科を卒業する。同年、東京帝国大学国文科に入学する。明治四十三年(1910年)に 『新思潮』を創刊する。明治四十四年(1911年)に 『新思潮』が廃刊となる。一時『スバル』の同人に参加する。授業料未納により東京帝国大学国文科を退学する。『少年』『幇間』『飈風』『秘密』を発表する。作品が永井荷風に激賞されて文壇的地位を確立する。

 大正四年(1915年)に 石川千代と結婚する。大正六年(1917年)に芥川龍之介と佐藤春夫との交流が始まる。大正九年(1920年)横浜の大正活映株式会社脚本部顧問に就任する。大正十年(1921年)に 妻・千代を佐藤春夫に譲るという前言を翻したため、佐藤と絶交する(「小田原事件」)。昭和元年(1926年)に佐藤春夫と和解する。

 昭和三年(1928年)に 兵庫県武庫郡岡本梅ヶ谷(現・神戸市東灘区岡本)に新居して「鎖瀾閣」を築く。『卍』を発表する。昭和五年(1930年)に千代と離婚する。離婚および千代の佐藤春夫との再嫁の旨の挨拶状が有名になり、「細君譲渡事件」として騒がれる。昭和六年(1931年)に 古川丁未子と結婚。

 昭和九年(1934年)に丁未子と離婚する。昭和十年(1935年)に森田松子と再婚する。『源氏物語』の現代語訳に着手する。昭和13年(1938年)に『源氏物語』を脱稿する。昭和二十四年(1949年)に文化勲章を受章する。 昭和四十(1965)年七月三十日に谷崎潤一郎は逝去。七十九年の生涯を終えた。 


三国志演義 第一巻
三国志演義 第二巻
三国志演義 第三巻
三国志演義 第四巻
三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

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