豊田貞次郎

概要

 豊田貞次郎(とよだていじろう)明治十八(1885)年乙酉(きのととり22)八月七日生誕 -昭和三十六(1961)年十一月二十一日薨去(七十六歳)は、海軍軍人、政治家、実業家。最終階級は海軍大将。

経歴

 明治十八(1885)年乙酉(きのととり22)八月七日に和歌山県で紀伊田辺藩士の父・豊田信太朗の次男として誕生する。

 旧制天王寺中学校から東京外語学校英語科を経て海軍兵学校に入校して第33期を首席で卒業する。明治四十三年(1910年)に海軍大尉に昇進する。海軍大学校乙種学生と、砲術学校高等科で学び、いずれも優等で卒業する。

 明治四十四年(1911年)にイギリス駐在を命じられる。オックスフォード大学に留学して、大正三年(1914年)に帰国する。大正六(1917)年四月に第3特務艦隊の主力としてシドニーに派遣される。同年十二月に帰国して、海軍大学校甲種学生となる。

 大正十二年(1923年)にイギリス大使館附武官に任じられる。昭和二年(1927年)に帰国する。帰国後、「阿武隈」「山城」の艦長を歴任して再びロンドン海軍軍縮会議の随員として渡英する。

 昭和九(1934)五月に艦政本部総務部長に就任する。昭和十一(1936)二月に呉工廠長に就任する。昭和十三(1938)年十一月に航空本部長に就任する。昭和十五(1940)九月に海軍次官に就任する。

 昭和十六(1941)年四月四日に豊田は自らの大将進級を条件に次官を依願退職するという辞表を及川に提出した。及川はこの辞表を受理せず、豊田を大将に進級させた上で即日予備役に編入する。同日に政界転向して第2次近衛内閣の商工大臣に就任する。同年七月十八日に第3次近衛内閣の外務大臣に就任する。同年十月十八日に外務大臣を辞職する。その後、日本製鉄社長に招聘される。

 昭和二十(1945)年四月七日に鈴木貫太郎内閣の軍需大臣と運輸通信大臣に就任する。戦後、A級戦犯容疑者として逮捕されたが不起訴となる。公職追放が解除となった昭和三十三年(1958年)にブラジルの鉄鋼開発合弁企業・日本ウジミナスの会長に就任する。昭和三十六(1961)年十一月二十一日に豊田貞次郎は薨去。七十六年の生涯を終えた。


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