古賀峯一

概要

 古賀峯一(こがみねいち)明治十八(1885)年乙酉(きのととり22)九月二十五日生誕 -昭和十九(1944)三月三十一日薨去(五十八歳)海軍軍人。連合艦隊司令長官。最終階級は元帥海軍大将。

経歴

 明治十八(1885)年乙酉(きのととり22)九月二十五日に古賀峯一は佐賀県西松浦郡有田村(現・佐賀県西松浦郡有田町泉山)で誕生する。

 佐賀中学校を卒業後、明治三十六(1903)年十二月十七日に海軍兵学校第34期に195名中29番で入校する。明治三十九(1906)年十一月十九日に海軍兵学校を175名中14番の成績で卒業する。

 明治四十(1907)年十二月二十日に海軍少尉に任官する。三等巡洋艦「音羽」に乗艦する。明治四十二(1909)年十月十一日に海軍中尉に進級する。同年十二月二十二日に二等巡洋艦「宗谷」に乗艦する。明治四十四(1911)年十二月一日に海軍大尉に進級する。海軍大学校乙種学生となる。

 大正二(1913)年十二月一日に第二艦隊参謀に就任する。大正四(1915)年十二月十三日に海軍大学校甲種第15期学生となる。大正六(1917)年十一月二十九日に海軍大学校卒業成績は20名中4番で卒業する。同年十二月一日に海軍少佐に進級する。海軍省軍令部に出仕する。

 大正九(1920)年五月五日に在フランス日本大使館附海軍武官府補佐官に就任する。大正十一(1922)年八月一日に帰国する。同年十二月一日に海軍中佐に進級する。軽巡洋艦「北上」副長に就任する。大正十二(1923)年六月一日に海軍省軍令部出仕兼海軍大学校教官に就任する。

 大正十四(1925)年十月二十日に連合艦隊参謀兼第一艦隊参謀に就任する。大正十五(1926)年十二月一日に海軍大佐に進級する。在フランス日本大使館附海軍駐在武官兼造船造兵監督官に就任する。

 昭和二(1927)年四月二十六日にジュネーブ海軍軍縮会議全権随員となる。昭和四(1929)年四月一日に海軍軍令部兼海軍省出仕となる。同年五月一日に海軍省先任副官に就任する。昭和七(1932)年十二月一日に海軍少将に進級する。昭和十一(1936)年十二月一日に海軍中将に進級する。

 昭和十二(1937)年十二月一日に軍令部次長に就任する。昭和十四(1939)年十月二十一日に第二艦隊司令長官に親補される。昭和十七(1942)年五月一日に海軍大将に親任される。

  昭和十八(1943)年四月二十一日に前任の山本五十六大将の戦死に伴い、連合艦隊司令長官に親補される。昭和十九年三月三十一日に搭乗機が消息を絶ち、同日付で殉職と認定される。同日付で元帥府に列せられる。古賀峯一は五十八年の生涯を終えた。


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三国志演義 Ⅰ

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