堀悌吉

概要

 堀悌吉(ほりていきち)明治十六(1883)年癸未(みずのとひつじ20)八月十六日生誕 -昭和三十四(1943)年五月十二日逝去(七十五歳)は、海軍軍人。最終階級は海軍中将。

経歴

 明治十六(1883)年癸未(みずのとひつじ20)八月十六日に堀悌吉は大分県国東半島速見郡杵築(現、大分県杵築市)で父・矢野弥三郎と母・タマの次男として誕生する。10歳で杵築煙硝倉の士族・堀正治の養子となる。

 杵築中学校を中途退学して明治三十四(1901)年十二月十六日に海軍兵学校(32期)に190名中3番で入校する。明治三十七年(1904)年十一月十四日に海軍兵学校を192名中首席で卒業する。同期に山本五十六、吉田善吾、嶋田繫太郎、などがいた。

 明治三十八年(1905)年八月三十一日に海軍少尉に任官する。明治四十年(1907)年九月二十八日に海軍中尉に進級する。同年十二月二十日に海軍砲術学校普通科学生となる。明治四十二年(1909)年十月十一日に海軍大尉に進級する。通報艦「淀」分隊長となる。同年十二月一日に海軍大学校乙種学生となる。

 明治四十三年(1910)五月二十三日に海軍砲術学校高等科第7期学生となる。同年十一月二十五日に海軍砲術学校高等科を修了する。同年十二月一日に戦艦「朝日」分隊長となる。大正二(1913)年一月十日にフランス駐在陸海軍観戦武官となる。

 大正三(1914)年十二月一日に海軍少佐に進級する。大正四(1915)年十二月一日に 海軍大学校甲種第16期学生となる。大正七(1918)年十一月二十六日に 海軍大学校甲種を卒業時成績順位20名中首席で卒業する。同年十二月一日に海軍省軍務局員となる。

 大正八(1919)年十二月一日に海軍中佐に進級する。大正十一(1922)年十二月一日に連合艦隊砲術参謀兼第一艦隊砲術参謀に就任する。大正十二(1923)年十二月一日に海軍大佐に進級する。軽巡洋艦「五十鈴」の艦長に就任する。昭和二(1927)年十二月一日に戦艦「陸奥」の艦長に就任する。

 昭和三年(1928)十二月十日に海軍少将に進級する。第二艦隊参謀長に就任する。昭和六年(1931)年十二月一日に第3戦隊司令官に就任する。昭和七年(1932)年十一月十五日に第1戦隊司令官に就任する。昭和八年(1933)年一月十五日に海軍少将に進級する。軍令部出仕となる。

 昭和九年(1934)年十二月十五日に予備役編入となる。昭和十一(1936)十一月四日に日本飛行機取締役社長に就任する。昭和十六(1941)年十一月二十九日に日本飛行機取締役社長を辞任する。

 昭和二十二(1947)年十一月二十八日に公職追放令該当指定となる。昭和二十七(1952)年二月二十五日に公職追放令該当解除となる。昭和三十四(1943)年五月十二日に堀悌吉は逝去。七十五年の生涯を終えた。


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三国志演義 Ⅰ

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