吉田善吾

概要

吉田善吾(よしだぜんご)明治十八(1885)年乙酉(きのととり22)二月十四日生誕 -昭和四十一(1966)年 十一月十四日薨去(八十一歳)は、海軍軍人。海軍大将。海軍大臣。連合艦隊司令長官。

経歴

 明治十八(1885)年乙酉(きのととり22)二月十四日に吉田善吾は佐賀県で父・峰與八の四男として誕生する。米屋の吉田祐次郎の養子となる。

 明治三十七(1904)年十一月十四日に海軍兵学校を192名中12番で卒業する。(海兵32期)海軍少尉候補生となる。明治三十八(1905)年八月三十一日に海軍少尉に任官する。明治四十(1907)年九月二十八日に海軍中尉に進級する。明治四十二年(1909)年十月十一日に海軍大尉に進級する。同年十二月一日に海軍大学校乙種学生となる。

 大正二(1913)十二月一日に海軍大学校甲種学生となる。昭和四年(1915年)海軍大学校を卒業する。同年十二月十三日に海軍少佐に進級する。大正八年(1919年)十二月一日に海軍中佐に進級する。大正十二(1923)年十一月十日に海軍省教育局第二課長に就任する。同年十二月一日に海軍大佐に進級する。

 大正十四(1925)五月十五日に海軍省軍務局第一課長に就任する。昭和二年(1927)年十二月一日に巡洋戦艦「金剛」の艦長に就任する。昭和三(1928)年十二月十日に戦艦「陸奥」の艦長に就任する。昭和四(1929)年十一月三十日に海軍少将に進級する。

 昭和六(1931)年十二月一日に連合艦隊参謀長兼第一艦隊参謀長に就任する。昭和九(1934)年十一月十五日に 海軍中将に進級する。昭和十一(1936)年十二月一日に第二艦隊司令長官に就任する。昭和十二(1937)年十二月一日に連合艦隊司令長官兼第一艦隊司令長官に就任する。

 昭和十四(1939)年八月三十日に阿部内閣で海軍大臣を拝命する。日独伊三国同盟と日米戦争に反対する。昭和十五(1940)年十一月十五日に海軍大将に進級する。昭和十八(1943)年十二月十四日に海軍大学校校長に就任する。

昭和十九(1944)年五月三日に横須賀鎮守府司令長官に就任する。昭和二十(1945)年六月一日に予備役編入となる。昭和二十一年(1946年)に公職追放となる。昭和二十七年(1952年)に公職追放が解除される。昭和四十一(1966)年 十一月十四日に吉田善吾は薨去。八十一年の生涯を終えた。


三国志演義 第一巻
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三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

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