大杉栄

概要

 大杉栄(おおすぎさかえ)明治十八(1885)年乙酉(きのととり22)一月十七日生誕 -大正十二(1923)年九月十六日逝去(三十八歳)は、思想家、作家、ジャーナリスト、社会運動家。

経歴

 明治十八(1885)年乙酉(きのととり22)一月十七日に大杉栄は愛媛県那珂郡丸亀(現・香川県丸亀市)で軍人の父・大杉東(おおすぎ あずま)と母とよの次男として誕生する。

 明治三十二(1899)年に名古屋陸軍幼年学校に入学する。学校内で奔放な生活を送る。同期生との喧嘩で相手にナイフで刺される殺傷騒動を起こし、学校に発覚する。明治三十四(1901年)に退学処分となる。

 軍隊生活の窮屈から解放されると、父の許しを得ずして文学を志すことを決める。明治三十五年(1902年)に上京して、順天中学校に入学する。明治三十六(1903年)に東京外国語学校(現、東京外国語大学)仏文科に入学する。

 明治三十八(1905)年三月に週刊『平民新聞』の後継紙である『直言』で堺利彦が書いた紹介記事によりエスペラントを知る。同年七月に東京外国語学校仏語学科選科を修了する。

 明治三十九(1906)年三月に電車代値上反対の市民大会に参加して電車焼き討ち事件に関与したとして、兇徒聚集罪により初めて逮捕される。明治四十三(1910)年九月に千葉刑務所から東京監獄に移され、幸徳秋水らの「大逆事件」に関連した取調べを受けるが、検挙は免れる。同年十一月に出所する。堺利彦らとともに売文社をつくる。

 大正五(1916)年十一月九日に以前からの恋愛相手であった神近市子に刺されるという日陰茶屋事件が起きて、大杉は重症を負う。世論は市子に同情的で、大杉の評判も地に落ち、同志たちから完全に孤立して伊藤野枝との共同生活を始めるが生活資金にも事欠くようになる。

 大正九年(1920)に不況下で労働争議も増え大杉の活動は広がる。メーデーを前にしての事前検束される。同年夏にコミンテルンから「密使」の訪問があり、同年十月に密かに日本を脱出して、中華民国の上海で開かれた社会主義者の集まりに参加する。

 大正十二(1923)年九月一日11時58分32秒に関東大震災が発生する。同年九月十六日に震災で東京や神奈川が混乱に陥るとして戒厳令が発せられていたさなか、大杉は内縁の妻伊藤野枝(作家)と甥の橘宗一(6歳)が自宅近くで憲兵隊特高課に連行されて、憲兵大尉の甘粕正彦と甘粕の部下によって扼殺された。大杉栄は三十八年の生涯を終えた。


三国志演義 第一巻
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三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
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三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

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