東郷茂徳

概要

 東郷茂徳(とうごうしげのり)明治十五(1882)年壬午(みずのえうま19)十二月十日生誕 -昭和二十五(1950)年七月二十三日薨去(六十七歳)は、外交官、政治家。

経歴

 明治十五(1882)年壬午(みずのえうま19)十二月十日に鹿児島県日置郡苗代川村(現在の鹿児島県日置市東市来町美山)で陶工の父・朴寿勝の長男として誕生する。

 明治十九年(1886年)に 父・朴寿勝が鹿児島城下士の東郷某の士族株を購入し、「東郷」姓を名乗る。1888年(明治21年)下伊集院村立下伊集院尋常高等小学校(後の美山小学校)へ入学する。

 明治二十九年(1896年)に 鹿児島県尋常中学校(後の鹿児島県立鶴丸高等学校)へ入学する。明治三十四年(1901年)に第七高等学校造士館(鹿児島大学の前身)へ入学する。明治三十七年(1904年)に東京帝国大学文科大学独逸文学科に入学する。

 明治四十一年(1908年)に 東京帝国大学を卒業する。明治四十二年(1909年)に明治大学でドイツ語教師として勤務する。大正元年(1912年)に外交官及び領事官試験に3度目の挑戦で合格する。

 大正二年(1913年)に奉天総領事館領事官補に就任する。大正五年(1916年)にスイス・ベルン公使館開設に伴い、外交官補として赴任する。大正十年(1921年)に 日本へ帰国する。外務省欧米局一課事務官に就任する。

 昭和十六(1941)年十月十八日に東條内閣の外務大臣に就任する。日米交渉が決裂し、同年十二月八日に太平洋戦争が開戦する。昭和二十(1945)年四月七日に鈴木貫太郎内閣の外務大臣兼大東亜大臣に就任する。ポツダム宣言受諾により鈴木内閣が総辞職し、外務大臣を辞任する。

 昭和二十一年(1946年)に開戦時の外相だったために、A級戦犯として指定され、巣鴨拘置所へ入獄する。昭和二十五(1950)年七月二十三日に東郷茂徳は、動脈硬化性心疾患、及び急性胆嚢炎の併発により米陸軍第361病院(現、同愛記念病院)で薨去。六十七年の生涯を終えた。


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