及川古志郎

概要

 及川古志郎(おいかわこしろう)明治十六(1883)年癸未(みずのとひつじ20)二月八日生誕 -昭和三十三(1958)年五月九日逝去(七十五歳)海軍軍人。最終階級は海軍大将。第二次・第三次近衛内閣で海軍大臣。第18代軍令部総長。

経歴

 明治十六(1883)年癸未(みずのとひつじ20)二月八日に及川古志郎は新潟県古志郡で医師の父・及川良吾と母・スケの長男として誕生する。

 旧制岩手県立盛岡中学校(現、岩手県立盛岡第一高等学校)を卒業後、海軍兵学校に入校して、明治三十六(1903)年十二月十四日に卒業する(31期)。大正二(1913)年十二月一日に海軍大学校甲種学生を拝命する。

 大正十五(1926)年十二月一日に 海軍兵学校教頭兼監事長に就任する。昭和三(1928)年十二月十日に海軍少将に進級する。呉鎮守府参謀長に就任する。昭和七(1932)年十一月十五日に 第一航空戦隊司令官に就任する。昭和八(1933)年十月三日に 海軍兵学校校長に就任する。同年十一月十五日に海軍中将に進級する。

 昭和十三(1938)年四月二十五日に日中戦争の勃発に伴い第三艦が改めて編成され、及川は同日、支那方面艦隊司令長官兼第三艦隊司令長官に就任する。昭和十四(1939)年十一月十五日に海軍大将に進級する。 

 日独伊三国同盟の問題の中、昭和十五(1940)年九月五日に第二次近衛内閣の海軍大臣に就任する。及川が日独伊三国同盟に賛成したため調印されることになった。昭和十六(1941)年七月十八日に第三次近衛内閣の海軍大臣を留任する。同年十月十八日に内閣総辞職に伴い軍事参議官に転ずる。同年十二月八日に太平洋戦争が勃発する。

 昭和十七(1942)年十月十八日に海軍大学校校長に就任する。昭和十八(1943)年十一月十五日に初代海上護衛司令長官に就任する。昭和十九(1944)年八月二日に軍令部総長に就任する。

 昭和二十(1945)年八月十五日に終戦。同年九月五日に依願により予備役編入となる。その後、公職追放となり昭和二十七年(1952年)に公職追放解除となる。昭和三十三(1958)年五月九日に及川古志郎は逝去。七十五年の生涯を終えた。


三国志演義 第一巻
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