鳩山一郎

概要

 

鳩山一郎(はとやまいちろう)明治十六(1883)年癸未(みずのとひつじ20)一月一日生誕- 昭和三十四(1959)年三月七日薨去(七十六歳)は、政治家、弁護士。第52・53・54代内閣総理大臣。位階勲等は正二位大勲位。

経歴

 明治十六(1883)年癸未(みずのとひつじ20)一月一日に鳩山一郎は東京市牛込区東五軒町(現・東京都新宿区)で弁護士の父・鳩山和夫と母・春子の子として誕生する。

 明治三十六年(1903年)に第一高等学校(現、東京大学教養学部)を卒業する。明治四十年(1907年)に東京帝国大学法科大学英法科を卒業する。同年、父・鳩山和夫の弁護士事務所に勤める。

 明治四十四(1911)十月三日に父・和夫が逝去する。大正元年(1912年)に 父の補欠選挙で東京市会議員に初当選する。大正四年(1915年)に立憲政友会公認で衆議院議員に当選する。

 昭和二年(1927年)に田中義一内閣で内閣書記官長に就任する。昭和六年(1931年)に犬養毅内閣で文部大臣に就任する。昭和九年(1934年)に帝人事件で汚職の疑いをかけられ辞職する。

 昭和十八年(1943年)に 東條内閣を批判し、軽井沢へ隠遁する。昭和二十(1945)年八月十五日の 終戦後に軽井沢から上京する。日本自由党を結成して総裁となる。昭和二十一年(1946年)に 総選挙で日本自由党が第一党になるが、鳩山は公職追放となる。

 昭和二十六年(1951年)に脳出血で倒れる。同年、公職追放が解除となる。昭和二十七(1952年)に第25回衆議院総選挙で政界に復帰する。昭和二十九(1954)十一月に日本民主党を結成して総裁となる。同年十二月に 内閣総理大臣となる。

 昭和三十(1955)年十一月に保守合同により自由民主党が結成される。第3次鳩山一郎内閣が発足する。 自民党初代総裁に就任し、昭和三十一(1956)年十月十九日に、モスクワで日ソ共同宣言に調印する。日ソ国交回復を花道に鳩山は内閣総辞職する。

 昭和三十四(1959)年三月七日に鳩山一郎は薨去。七十六年の生涯を終えた。

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