永野修身

概要

 永野修身(ながのおさみ)明治十三(1880)年庚辰(かのえたつ17)六月十五日生誕 -昭和二十二(1947)年一月五日薨去(六十六歳)は、海軍軍人。教育者。海軍の三顕職である連合艦隊司令長官、海軍大臣、軍令部総長を全て経験した唯一の軍人。階級は海軍元帥。位階勲等は従二位勲一等。

経歴

 明治十三(1880)年庚辰(かのえたつ17)六月十五日に、高知県で士族(上士)の父・永野春吉の四男として誕生する。

 海南中学を卒業後、明治三十一年(1898年)に海軍兵学校28期を116名中2番の成績で入学する。明治三十三(1900)年十二月十三日に105人中次席の成績で卒業して少尉候補生となる。明治三十五(1902)年一月十八日に海軍少尉に任官する。

 日露戦争で仮装巡洋艦「香港丸」に乗組み後、旅順工作部員名義で重砲隊に転じる。着弾観測と照準補正連絡のために最前線で陣頭指揮を執り、砲撃を成功させた。

 明治三十八(1905)年一月十二日に海軍大尉に進級する。第二艦隊第4戦隊副官として五月の日本海海戦に参加する。巡洋艦「厳島」砲術長に就任する。明治四十二(1909)年五月二十五日に海軍大学校甲種学生を拝命する。明治四十三(1910)年十二月一日に海軍少佐に進級する。

 大正二(1913)年一月十日にアメリカ駐在(ハーバード大学に留学する)。大正三(1914)年十二月一日に海軍中佐に進級する。大正四年(1915年)に帰国し五月より装甲巡洋艦「日進」副長に就任する。大正七(1918)年十月一日に海軍大佐に進級する。大正八(1919)年十一月一日に防護巡洋艦「平戸」艦長に就任する。

 大正九(1920)年十二月一日に在アメリカ合衆国大使館付武官に就任する。大正十二(1923)年十二月一日に海軍少将に進級する。大正十五年(1926年)に軍令部出仕となる。昭和二(1927)年十二月一日に海軍中将に進級する。昭和三(1928)年十二月十日に海軍兵学校長に就任する。

 昭和十一(1936)年三月九日に広田内閣の海軍大臣を拝命する。昭和十二(1937)年二月二日に 連合艦隊司令長官 兼第一艦隊司令長官に就任する。昭和十六(1941)年四月九にに軍令部総長に就任する。昭和十八(1943)六月二十一日に元帥拝命を受ける。昭和十九(1944)年二月二十一日に 軍令部総長を辞職する。

 昭和二十(1945)年八月十五日に日本は無条件降伏を認め終戦となる。永野はアメリカをはじめとする戦勝国に真珠湾作戦を許可した責任を問われ、A級戦犯容疑者として極東国際軍事裁判に出廷する。

 昭和二十二(1947)年一月二日に急性肺炎にかかり巣鴨プリズンから聖路加国際病院へ移送後同病院内で一月五日に薨去。永野修身は六十六年の生涯を終えた。


三国志演義 第一巻
三国志演義 第二巻
三国志演義 第三巻
三国志演義 第四巻
三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

土地建物無料査定

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA