アルベルト・アインシュタイン

概要

 アルベルト・アインシュタイン(ドイツ: Albert Einstein)1879年3月14日(明治十二年)己卯(つちのとう16)生誕 – 1955(昭和三十)年4月18日逝去(76歳)は、ドイツ生まれの理論物理学者。

経歴

 1879年3月14日(明治十二年)己卯(つちのとう16)にドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州ウルム市で父・ヘルマン・アインシュタインと母・パウリーネ・コッホの長男として誕生する。

 アインシュタインは、5歳ごろまであまり言葉を発して他人と会話することがなかった。5歳のときに父親からもらった方位磁針(ほういじしん)が自然界の仕組みに対する興味をもたらすきっかけとなる。ヴァイオリンを習い、モーツァルトの曲が好きになる。

 アインシュタインは数学に関しては傑出した才能を示し、9歳のときにピタゴラスの定理の存在を知り、その定理の美しい証明を寝る間も惜しんで考え、自力で定理を証明する。12歳のときに叔父からユークリッド幾何学の本をもらい独習する。微分学と積分学も、この当時に独学で習得した。

 1895年(明治二十八年)にスイスのチューリッヒ連邦工科大学を受験したが、総合点が合格基準に足らず失敗する。しかし同校の校長は、アインシュタインの数学と物理の点数が最高ランクだったため、大学入学に必要な中等教育の諸知識を習得することを条件に、翌年度の入学資格を与えられる。アインシュタインは1895年と1896年に同校に通学した。アーラウの学校の校風は、ある程度自由が保障されており、さらにこの学校は視覚教育に力を入れていた。

 ある晴れた日の昼休み、アインシュタインは学校の裏にある丘に寝転んで空を眺めていた。いつの間にか眠り込んでしまい、不可思議な夢を見た。それは、自分が光の速さで光を追いかける夢であったという。彼は目が覚めると、すぐに思考実験を試みた。これがのちの相対性理論を生み出すきっかけになったといわれている。

 アインシュタインは数学・物理の教員資格試験に無事合格した。1900年7月(明治三十三年)にチューリッヒ連邦工科大学を卒業した。大学の物理学部長ハインリヒ・ウェーバーと不仲であったために、大学の助手になれなかった。保険外交員、臨時の代理教員や家庭教師のアルバイトで収入を得つつ、論文の執筆に取り組む。

 1902年(明治三十五年)にベルンのスイス特許庁に3級技術専門職として就職する。ここで好きな物理学の問題に取り組む自由がたっぷりでき、特許申請書類の中のさまざまな発明理論や数式を知る機会を得る。

 1903年1月6日(明治三十六年)にアインシュタインとミレーバは正式に結婚する。1904年(明治三十七年)に長男ハンスを授かる。このアパート暮らしでは、アインシュタインは壁が完全な平面ではなく、歪曲している・壁と天井を結ぶ線が直線ではなく、少し曲がっているのではないか、ということが気になっていた。この考えがのちに一般相対性理論を生み出す元となった。

 1905年(明治三十八年)に3つの重要な論文を発表する。この1905年は「奇跡の年」とも呼ばれている。「奇跡の年」およびそれに続く数年で、アインシュタインは「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」に関連する五つの重要な論文を立て続けに発表する。 

 1907年(明治四十年)に式、E=mc2を発表。この年には、「箱の中の観測者は、自らにかかる力が慣性力なのか重力なのか区別ができない」という、のちの一般相対論の基礎となるアイディア(等価原理)を考案する。アインシュタインはこれを「生涯最良の名案」と述べる。

 1909年(明治四十二年)に特許局に辞表を提出し、チューリッヒ大学の助教授に就任する。1910年(明治四十三年)にプラハ大学の教授に就任する。1913年(大正二年)にプロセイン科学アカデミーの会員となる。アインシュタインはベルリンに移住する。光量子仮説に基づく光電効果の理論的解明によって1921年(大正十年)のノーベル物理学賞を受賞する。

 1922(大正十一)年にフランスを訪れたほか、同年10月に日本への訪問を目的に夫婦で客船「北野丸」に乗船する。同年11月17日に訪日したアインシュタインは、その後43日間滞在し、大正天皇に謁見した。

 1933年(昭和八年)にアインシュタインはイギリス、スイスへの旅行の後、再度イギリスへと渡る。その後アメリカへと渡り、プリンストン高等学術研究所の教授に就任する。この年にアインシュタインの別荘をドイツ警察が強制的に家宅捜索するなどという出来事もあった。その後ドイツはアインシュタインを国家反逆者とした。

 1954年(昭和二十九年)に「人間は肉食動物ではない」と主張してベジタリアンの生活を実践するようになる。「人間の健康を高め、地球生命の存続を確かなものとする点で、菜食に勝るものはない」と述べている。

 1955(昭和三十)年4月11日に哲学者バートランド・ラッセルとともに核兵器の廃絶や戦争の根絶、科学技術の平和利用などを世界各国に訴える内容のラッセル=アインシュタイン宣言に署名する。同年4月13日に建国7周年を迎えるイスラエルと同国国民へ寄せるラジオ放送に関する打ち合わせ後、心臓付近の痛みに倒れる(腹部動脈瘤の肥大)。 1955(昭和三十)年4月18日にアルベルト・アインシュタインは逝去。76年の生涯を終えました。


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