中村天風

概要

 中村天風(なかむらてんぷう)明治九(1879)年丙子(ひのえね13)七月三十日生誕 -昭和四十三(1968)年十二月一日逝去(八十九歳)は右翼団体玄洋社社員、大日本帝国陸軍の諜報員、実業家、思想家、ヨーガ行者、自己啓発講演家。

経歴

 明治九(1879)年丙子(ひのえね13)七月三十日に豊島郡王子村(現、東京都北区王子)で大蔵省紙幣寮抄紙局(現在の国立印刷局)初代局長の父・中村祐興の子として誕生。

 福岡市の親戚の家に預けられ、修猷館中学(現、修猷館高校)に入学する。修猷館ではオール英語の授業を行っていたため語学に堪能となり、また柔道部のエースとして文武両道の活躍をする。練習試合に惨敗した生徒に闇討ちされ、その復讐を行う過程で出刃包丁で飛びかかってきた生徒を刺殺してしまい、修猷館を退学となった。明治二十五年(1892年)に玄洋社の頭山満のもとに預けられる 。

 天風は玄洋社で頭角を現し、気性の荒さから「玄洋社の豹」と恐れられた。16歳の時に頭山満の紹介で帝国陸軍の軍事探偵(諜報員)となり満州へ赴く。明治三十五年(1902)年に再度満州に潜入する。様々な危険を乗り越え、無事目的地の大連に到着する。日露戦争に備えて参謀本部が放った軍事探偵は合わせて113名いたが、そのうち生きて大連に到着したのはわずか9名であった。

 戦後は帝国陸軍で高等通訳官を務めていたが、明治三十九年(1906年)に奔馬性(結核の症例の中で、急速に症状が進むもの。現代では「急速進展例」と呼ばれる)の肺結核を発病。病状は思わしくなかった。

 密航でアメリカに渡った天風は、哲学者のカーリントン博士に面会したのち、華僑の学生に代わって授業に出席したのをきっかけにコロンビア大学に入学し、自らの病の原因を尋ねて自律神経の研究を行ったとされる。

 納得の行く答えを得ることができなかった天風は明治四十四(1911)年五月二十五日に日本への帰路に就く が、その途中でインドのヨーガの聖人のカリアッパ師と邂逅し、弟子入りをする。ヒマラヤ第3の高峰カンチェンジュンガ山麓にあるゴーク村で2年半修行を行ったとされる。この修行を通じて結核は治癒し、さらに悟りを得るに至ったという。

 帰国後は、実業界に転身するとの東京実業銀行の頭取などを歴任し実業界で活躍した。大正八(1919)年五月末に頭山に代わって講演を行っている最中に突然感じるところがあり、頭山に相談した上で一週間の間に職を辞し、財産を処分して同年六月八日に「統一哲医学会」を創設。街頭にて心身統一法を説き始める。

 その後統一哲医学会は発展し、政財界の実力者も数多く入会するようになる。昭和十五年(1940年)に「統一哲医学会」を「天風会」に改称する。昭和三十七(1962)年三月に国の認可により「財団法人天風会」となる。昭和四十三(1968)年十二月一日に中村天風は逝去。八十九年の生涯を終えました。


三国志演義 第一巻
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