小林一三

概要

 小林一三(こばやしいちぞう)明治六(1873)年癸酉(みずのととり10)一月三日生誕 -昭和三十二(1957)年一月二十五日薨去(八十四歳)は、実業家。阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。

経歴

 明治六(1873)年癸酉(みずのととり10)一月三日に山梨県巨摩郡河原部村(現在の山梨県韮崎市)の商家で誕生。生まれてすぐ母が死去、父とも生き別れたため、おじ夫婦に引き取られた。

 高等小学校から加賀美平八郎が経営する私塾・成器舎 を経て後に上京し、明治二十一(1888)年二月に福沢諭吉が塾長の慶應義塾に入塾する。その日から塾の構内にある、塾監・益田英次の家に寄宿する。

 明治二十五年(1892年)に慶應義塾正科(現在の慶應義塾大学)を卒業し、三井銀行(三井住友銀行の前身)に勤務する。日露戦争終結後、岩下清周に誘われ、大阪で岩下が設立を計画する証券会社の支配人になるために明治四十年(1907年)に大阪へ赴任する。

 恐慌に見舞われ証券会社設立の話は立ち消えてしまい失業する。その頃に小林は箕面有馬電気鉄道の話を聞き、電鉄事業の同社には有望性があるとして、岩下を説得し北浜銀行に株式を引き受けさせることに成功する。明治四十(1907)年六月に「箕面有馬電気軌道」と社名を改めて同年十月に設立されると、小林は同社の専務となる。社長が不在であったため、小林が経営の実権を握ることになる。

 大正三(1914)四月に、当時人気を得ていた三越の少年音楽隊を模して宝塚唱歌隊、後の宝塚歌劇団を創り上げ、沿線を阪急グループの聖地といわせるほどに発展させる。会社名を阪神急行電鉄(「阪急」の略称はこれ以後誕生)と改める。昭和二年(1927年)に小林は社長に就任する。

 昭和四(1929)年三月に「阪急百貨店」という直営百貨店を、新ターミナルビルの竣工に合わせて開店さる。小林は「素人だからこそ玄人では気づかない商機がわかる」「便利な場所なら、暖簾がなくとも乗客は集まるはず」などと言って事業を推し進め、世界恐慌のさなか多くの客を集めることに成功する。

 昭和七年(1932年)に東京宝塚劇場、昭和十二(1937年)に東宝映画の設立(1943年に両者は合併し、現在の「東宝」となった)といった興業・娯楽事業、昭和十三(1938年)に第一ホテルの開設と阪急東宝グループの規模は年々拡大の一途を辿った。

 小林は近衛文麿に接近し、昭和十五(1940)七月二十二日に第二次近衛文麿内閣の商工大臣となる。終戦後は幣原内閣で国務大臣を務めたが、第二次近衛内閣で商工大臣だったことで公職追放となる。

昭和二十六(1951年)に公職追放解除となり、東宝の社長に就任する。昭和三十二(1957)年一月二十五日に小林一三は薨去。八十四年の生涯を終えました。


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