土井晩翠

概要

 土井晩翠(どいばんすい)明治四年辛未(かのとひつじ8)十月二十三日(1871年12月5日)生誕 -昭和二十七(1952)年十月十九日逝去(八十歳)は、詩人、英文学者。本名、林吉(りんきち)。

経歴

 明治四年辛未(かのとひつじ8)十月二十三日(1871年12月5日)に、仙台県仙台北鍛冶町(現、宮城県仙台市青葉区木町通2丁目)で質屋の父・土井林七と母・あいの長男として誕生する。

 明治十一年(1878年)に培根小学校(現、仙台市立木町通小学校)に入学する。明治十三年(1880年)に転居に伴い、立町小学校(現、仙台市立立町小学校)に転校する。明治十七年(1884年)に立町小学校を卒業する。

 明治二十一年(1888年)に旧制第二高等中学校(現、東北大学)補充科2年に入学する。明治二十六(1893)年七月に雅号を「晩翠」とする。明治二十七(1894年)に旧制第二高等中学校を卒業。同年に帝国大学文科大学(現、東京大学文学部)英文学科に入学する。

 明治三十(1897)年七月に東京帝国大学を卒業し、大学院に進学して、小泉八雲らに師事する。明治三十一(1898年)にカーライル『英雄論(英語版)』を翻訳刊行する。

 明治三十三(1900)年一月に仙台に戻り、母校である(旧制)第二高等学校の教授となる。明治三十四(1901)年四月に晩翠作詞、瀧廉太郎作曲の「荒城の月」を収めた東京音楽学校編『中学唱歌集』を刊行する。

 明治三十四(1901)年六月にヨーロッパに留学。イギリス・ロンドン大学で英文学を研究する。明治三十六(1903)年一月にフランス・ソルボンヌ大学で仏文学を研究する。同年十月にドイツ帝国・ライプツィヒ大学で独英文学を研究する。明治三十七(1904)年十一月に帰国する。

 昭和九年(1934年)に(旧制)第二高等学校を定年退官する。昭和二十(1945)年七月十日の仙台空襲で住居と蔵書約3万冊を失う。昭和二十二(1947)年十一月に日本芸術院会員になる。昭和二十四(1949)年五月二日に「仙台市名誉市民」の称号を贈呈される。昭和二十五(1950)年十一月に文化勲章を授与される。昭和二十七(1952)年十月十九日に土井晩翠は逝去。八十年の生涯を終えました。


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