松平容大

概要

 松平容大(まつだいらかたはる)明治二年己巳(つちのとみ6)六月三日(1869年7月11日)生誕-明治四十三(1910)年六月十一日逝去(四十歳)は、明治時代の知藩事、華族。会津松平家第十一代。陸奥斗南藩主。

経歴

 明治二年己巳(つちのとみ6)六月三日(1869年7月11日)に藩領を没収された前会津藩主の父・松平容保と容保の側室の母・佐久との間に誕生。

 明治二年十一月三日(1869年12月5日)に会津松平家の再興を許されて、容大は新たに陸奥国北郡・三戸郡・二戸郡内で3万石を与えられ、斗南藩と称した。明治三年五月十五日(1870年6月13日)に版籍奉還により知藩事に就任し、従五位を授与される。明治四年七月十五日(1871年8月30日)に廃藩置県により、斗南藩は斗南県となり、知藩事職を免職した。

 明治二十(1887)十月に校則違反により学習院を退学処分となる。若年であることを理由に譴責処分を見送られる。明治二十一(1888年)に旧藩士・山川浩と山本覚馬の斡旋により、補育役の会津出身者・兼子重光とともに同志社英学校に入学する。しかしここでも校則違反により退学問題が発生したが、兼子ら学生の嘆願運動により、処分は見送られた。明治二十六年(1893年)に東京専門学校(現、早稲田大学)行政科を卒業する。

 明治二十六年(1893年)に一年志願兵として陸軍に入隊して、日清戦争に参戦する。明治二十八年(1895年)に少尉に任官する。後に騎兵大尉に累進する。明治三十九(1906)年三月に貴族院員に選出される。

明治四十三(1910)年六月十一日に松平容大は逝去。四十年の生涯を終えました。


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