夏目漱石

概要

 夏目漱石(なつめそうせき)慶応三年丁卯(ひのとう4)一月五日(1867年2月9日)生誕 -大正五(1916)年十二月九日逝去(四十九歳)は、小説家、評論家、英文学者、俳人。本名、夏目金之助(なつめきんのすけ)。俳号、は愚陀仏。

経歴

 慶応三年丁卯(ひのとう4)一月五日(1867年2月9日)に江戸牛込馬場下で名主の父・夏目小平兵衛直克と母・千枝夫妻の五男として誕生する。

 明治七年(1874年)に浅草寿町戸田小学校下等小学第八級に入学。12歳の時、東京府第一中学正則科(府立一中、現在の都立日比谷高校)に入学する。明治十四年(1881年)に中退し、漢学私塾二松學舎(現在の二松學舎大学)に入学する。明治十七年(1884年)に大学予備門予科に入学する。

 明治二十三(1890年)に創設間もなかった帝国大学(のちの東京帝国大学)英文科に入学。明治二十六(1893年)に帝国大学を卒業して高等師範学校の英語教師に就任する。明治二十八年(1895年)に高等師範学校を辞職して菅虎雄(すがとらお)の斡旋で愛媛県尋常中学校(旧制松山中学、現在の松山東高校に英語教師として赴任する。

 明治二十九年(1896年)に熊本市の第五高等学校(熊本大学の前身)の英語教師に赴任後、親族の勧めもあり貴族院書記官長・中根重一の長女・鏡子と結婚する。

 明治三十三(1900)年五月に文部省より英語教育法研究のため、英国留学を命じられる。同年九月十日に日本を出発する。明治三十六(1903)年一月二十日に英国留学から帰国する。同月末、籍を置いていた第五高等学校教授を辞任。同年四月、第一高等学校と東京帝国大学の講師に就任する。

 明治四十(1907)年二月に一切の教職を辞し、池辺三山に請われて朝日新聞社に入社して本格的に職業作家としての道を歩み始める。大正四(1915)年三月に京都へ旅行してそこで5度目の胃潰瘍で倒れる。六月より『吾輩は猫である』執筆当時の環境に回顧して『道草』の連載を開始。大正五年(1916年)に糖尿病に悩まされる。大正五(1916)年十二月九日に夏目漱石は逝去。四十九年の生涯を終えた。


三国志演義 第一巻
三国志演義 第二巻
三国志演義 第三巻
三国志演義 第四巻
三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

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