本多静六

概要

 本多静六(ほんだせいろく)慶應二年丙寅(ひのえとら3)七月二日(1866年8月11日)生誕 – 昭和二十七(1952)年一月二十九日薨去(八十五歳)は、林学者、造園家、株式投資家。

経歴

 慶應二年丙寅(ひのえとら3)七月二日(1866年8月11日)に武蔵国埼玉郡河原井村(現、埼玉県久喜市菖蒲町河原井)に折原家の第6子として誕生。9歳の時に父親が急死すると同時に多額の借金で、今までとは違った苦しい生活を強いられるようになった。

 明治十三年(1880年)に志を立てて島村泰(元岩槻藩塾長)のもとに書生として住み込み農閑期の半年は上京し勉学に努め、農繁期の半年は帰省して農作業や米搗つきに励むという変則的な生活を3年間繰り返した。

 明治十七(1884)年三月に東京山林学校(後に東京農林学校から帝国大学農科大学)に入学。卒業時は首席で銀時計が授けられた。卒業1年前の明治二十二(1889)年五月に元彰義隊隊長の本多敏三郎の娘・詮子と結婚し婿養子となる。

 東京農林学校(現在の東京大学農学部)を卒業。林学を学ぶためドイツへ留学。ドイツでは、2つの学校に学び、最初はドレスデン郊外にあるターラントの山林学校(現在はドレスデン工科大学林学部)で半年、その後ミミュンヘン大学へ転校し、さらに1年半学問を極めた。ドクトルの学位を取得。欧米を視察したあと帰国し、東京農林学校の助教授に就任する。

日比谷公園を皮切りに、北海道の大沼公園、福島県の鶴ヶ城公園、埼玉県の羊山公園、東京都の明治神宮などを設計、改良に携わる。関東大震災からの復興の原案を後藤新平内務大臣より依頼されて作成した。

 ドイツ留学でのルヨ・ブレンターノ教授の教えから、勤倹貯蓄を処世訓とした。日本で最初の林学博士となった。投資家として巨万の富を築いたが、退官を機に匿名でほぼすべてを教育、公共の関係機関に寄付したことでも知られる。勤倹貯蓄は、収入の1/4は必ず貯蓄をし、貯金と株式投資によって40代で、分散投資を実施した。また、日々1ページ原稿を書くことを常としたため、370冊を超える著作がある。

 昭和二十七(1952)年一月二十九日に本多静六は薨去。八十五年の生涯を終えました。


三国志演義 第一巻
三国志演義 第二巻
三国志演義 第三巻
三国志演義 第四巻
三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

土地建物無料査定

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA