徳川家達

概要

 德川家達(とくがわいえさと)文久三年癸亥(みずのとい60)七月十一日(1863年8月24日)生誕 -昭和十五(1940)年六月五日薨去(七十六歳)徳川宗家第十六代当主。田安徳川家七代当主で、静岡藩初代藩主。幼名は亀之助。号は静岳。位階勲等爵位は従一位大勲位公爵。

経歴

 文久三年癸亥(みずのとい60)七月十一日(1863年8月24日)に江戸城田安屋敷において、田安家の父・徳川慶頼と母・武子の三男として誕生。慶頼は第十四代将軍・徳川家茂の将軍後見職であり、幕府の要職にあった。

 元治二年二月五日(1865年3月2日)に実兄・寿千代の夭逝により田安徳川家を相続する。慶応二年七月二十日(1866年8月29日)に将軍・家茂が後嗣なく死去した際、家茂の近臣および大奥の天璋院や御年寄・瀧山らは家茂の遺言通り、徳川宗家に血統の近い亀之助の宗家相続を望んだものの、わずか四歳の幼児では国事多難の折りの舵取りが問題という理由で、また静寛院宮、雄藩大名らが反対した結果、一橋家の徳川慶喜が第十五代将軍に就任した。

 大政奉還・王政復古・江戸城開城を経て、慶応四年閏四月二十九日(1868年6月19日)に新政府から慶喜に代わって徳川宗家相続を許可され、駿府藩主として70万石を与えられる。明治二年六月(1869年7月)に静岡藩知事に就任し、駿河府中(現:静岡市葵区)へ移住することとなる。この時、府中は不忠に通じる、ということで、駿府を静岡と改名した。

 明治十年(1877年)にイギリスのイートン・カレッジに留学。同校では、寄宿舎での学生による模擬議会に大きな感銘を受けたと回顧している。婚儀を心待ちにしていた天璋院の意向もあって、明治十五(1882)年十月に帰国した。同年十一月六日に近衛泰子と結婚、明治十七(1884)三月二十三日に嫡男家正が誕生する。

 明治十七年(1884年)の華族令公布によって公爵を授けられた。明治二十三年(1890年)の帝国議会開設と同時に貴族院議員に就任する。昭和四(1929)年十一月に第六代日本赤十字社社長に就任、終生、務める。昭和十一(1936)年十二月に1940年東京オリンピック招致成功を受けて、東京市や大日本体育会などを中心として設立された「第十二回オリンピック東京大会組織委員会」の委員長に就任した。

 昭和十五(1940)年六月五日に徳川家達は薨去。七十六年の生涯を終えました。


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