田中舘愛橘

概要

田中舘愛橘(たなかだてあいきつ)安政三年丙辰(ひのえたつ53)九月十八日(1856年10月16日)生誕 -昭和二十七(1852)年五月二十一日薨去(九十五歳)は、地球物理学者。東京帝国大学名誉教授、帝国学士院会員、文化勲章受章者。

経歴

 安政三年丙辰(ひのえたつ53)九月十八日(1856年10月16日)に陸奥国二戸郡福岡(現在の岩手県二戸市)で南部藩士の父・稲蔵(とうぞう)と呑香稲荷神社の娘である母・喜勢(きせ・旧姓 小保内)の長男として誕生。

 明治二年(1869年)に盛岡に移り、南部藩の藩校作人館の修文所に通い和漢の書を修めた。明治五年(1872年)に帰農していた父・稲蔵は愛橘と弟の甲子郎の教育の為、土地や家などを売り払い一家を引き連れて東京の三田へ移住する。移動は徒歩や船での行程で、1か月半ほどを費やしての上京となった。同年九月、愛橘は慶應義塾に入学して英語を学んだ。

 明治十一(1878年)年九月に前年に東京開成学校が改編され、新たに発足したばかりの東京大学理学部本科(のち帝国大学理科大学)に入学した。明治十五(1882)年七月に東京大学理学部を第1期生として卒業、東京大学準助教授に就任する。

 明治二十(1887)年の六月から十月にかけてノットの提案で全国地磁気測定が実施され、愛橘は日本の南半及び朝鮮半島南部の31箇所で観測を行った。明治二十一(1888)年一月に文部省より電気学及び磁気学修養として、イギリスのグラスゴー大学への留学を命ぜられる。

 明治二十四(1891)年七月にアメリカ経由で帰国。七月二十二日付けで東京帝国大学理科大学教授に就任し、翌月に理学博士の学位が授与される。震災予防調査会では愛橘らの地磁気調査を受けて、地震予知には地磁気の測定が必要不可欠なものという施策が打ち出され重要視された。

 大正五(1916)年十月七日に東京の小石川植物園で各界の著名人300人を招いた『教授在職25周年祝賀会』が盛大に営まれた。寺田寅彦は三崎油壷で愛橘の作った磁力計により観測された地磁気脈動を解析し、この場でその論文を愛橘に進呈した。大正六(1917)年四月に東京帝国大学依願免官の辞令が交付される。

 大正五年に東京帝国大学工科大学内に、航空に関する基礎研究機関設立を目的とした航空学調査委員会が山川健次郎東京帝国大学総長によって設置される。委員会には東京帝大の6人の博士が所属し、愛橘が委員長を務めた。昭和十八年(1943年)度の朝日賞が愛橘に授賞され、四月には「地球物理学及び航空学」の功績により文化勲章が授章された。

 大正十年(1921年)に帝国議会において度量衡法(どりょうこうほう)の改正法案が通過し、メートル法を基本とする法律となったが、それまでの尺貫法も使われ続けた。愛橘はその後もメートル法普及のための啓蒙的な講演活動などを続けた。日本の計量法においてメートル法が完全に施行されたのは昭和三十四年(1959年)のことである。

 昭和五(1930)年十一月に愛橘は文部省臨時ローマ字調査会委員に就任する。昭和十二年(1937年)に日本政府は日本式ローマ字を基に これに若干の改変を加えた訓令式を採用し、内閣訓令第3号として公布した。

 昭和二十七(1852)年五月二十一日に田中舘愛橘は薨去。九十五年の生涯を終えました。 


三国志演義 第一巻
三国志演義 第二巻
三国志演義 第三巻
三国志演義 第四巻
三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

土地建物無料査定

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA