原敬

概要

 原 敬(はら たかし)安政三年丙辰(ひのえたつ53)二月九日(1856年3月15日)生誕-大正十(1921)年十一月四日薨去(六十五歳)は、外交官、政治家。位階勲等は正二位大勲位。幼名は健次郎(けんじろう)。号は一山、逸山(いつざん)。

経歴

 安政三年丙辰(ひのえたつ53)二月九日(1856年3月15日)に盛岡藩(現、盛岡市)で誕生する。

 明治三年一月(1870年2月)に盛岡藩の藩校「作人館」に入る。明治四年十二月(1872年1月)に上京し、藩の青年のために設立された学校「共慣義塾」に入学した。しかし盛岡の家が盗難にあい、学費に困った原は明治五年四月(1872年5月)に無料のカトリック神学校に移った。明治六(1873)年四月に洗礼を受け、「ダビデ」の洗礼名を受けた。翌年から布教活動に加わり、1年間新潟に滞在した。

 明治九年(1876年)に司法省法学校を受験し、受験者中2番の成績で合格した。在学中も101名中10位と成績は良かったが、明治十二(1879)年二月に退校処分を受ける。寄宿舎の待遇改善を求めた行動に対する処分に抗議したことが理由とされている。

 退校後の明治十二年(1879年)に郵便報知新聞社に入社する。入社当初は翻訳を担当していたが、明治十四(1881)五月に仕事で全国周遊旅行に出た。明治十五(1882)年一月末に退社する。郵便報知新聞社を退社後は、関西で立憲帝政党の機関紙の役割を担っていた『大東日報』で主筆を務めた。

 原敬は外務次官、大阪毎日新聞社長、立憲政友会幹事長、逓信大臣(第十一代・十六代)、衆議院議員、内務大臣(第二十五代・二十七代・二十九代)、立憲政友会総裁(第三代)、内国総理大臣(第十九代)、司法大臣(第二十二代)などを歴任した。

 原敬は大正十(1921)年十一月四日に東京駅丸の内南口コンコースにて、大塚駅の駅員であった青年・中岡艮一(なかおかこんいち)に襲撃され、薨去。六十五年の生涯を終えました。


三国志演義 第一巻
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