徳川昭武

概要

 徳川昭武(とくがわ あきたけ)嘉永六年癸丑(みずのとうし50)九月二十四日(1853年10月26日)生誕-明治四十三(1910)年七月三日薨去(五十六歳)は、清水徳川家第六代当主、のち水戸藩十一代藩主。

経歴

 嘉永六年癸丑(みずのとうし50)九月二十四日(1853年10月26日)に、江戸駒込の水戸藩中屋敷で第九代水戸藩主・徳川斉昭の十八男(庶子)として誕生。幼名は余八麿。

 第十四代将軍・徳川家茂の薨去に伴い、諱を昭武と改める。慶応二年(1867年)にそれまで20年にわたり当主不在であった清水徳川家を相続・再興する。同時にパリ万国博覧会に将軍慶喜の名代としてヨーロッパ派遣を命じられる。

 慶応三年一月(1867年2月)に使節団を率いて約50日をかけて渡仏した。会計係として渋沢栄一、唐津藩からの留学生も同行した。また、佐賀藩の佐野常民が同行していた。慶応四年一月(1868年2月)兄である将軍・慶喜が大政奉還を行ったことを知り、使節団の立場は微妙なものとなる。

 慶応四年五月十五日(1868年7月4日)のフランスに、新政府よりの帰国命令書が届いたため、一行は帰国することとなった。フランスの関係者の中には、このまま留学を奨める者もいたが、昭武らは新政府の命に逆らうことが、徳川家の印象を悪くすることおよび今後の滞在費用などに事欠くことから、帰国を決定した。

 ヨーロッパから帰国した翌年の明治二年(1869年)に水戸徳川家を相続し、藩主に就任、同年、版籍奉還により水戸藩知事となる(民部大輔を辞官)。北海道の土地割渡しを出願し、同年に北海道天塩国のうち計5郡の支配を命じられた。明治四年(1871年)の廃藩置県により藩知事を免ぜられ、東京府向島の小梅邸(旧水戸藩下屋敷)に暮らす。

 明治四十三(1910)年七月三日に徳川昭武は薨去。五十六年の生涯を終えました。


三国志演義 第一巻
三国志演義 第二巻
三国志演義 第三巻
三国志演義 第四巻
三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

土地建物無料査定

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA