児玉源太郎

概要

 児玉源太郎(こだまげんたろう)嘉永五年壬子(みずのえね49)閏二月二十五(1852年4月14日)生誕 -明治三十九(1906)年七月二十三日薨去(五十四歳)陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級爵位は陸軍大将正二位勲一等子爵。

経歴

 嘉永五年壬子(みずのえね49)閏二月二十五(1852年4月14日)に周防国都濃郡徳山で、長州藩の支藩・徳山藩の中級武士(禄100石)児玉半九郎忠硯の長男として誕生。

 藩論が倒幕派に傾き、家名断絶の翌年の慶応元年(1865年)に藩主・毛利元蕃から家名再興を許され、源太郎は中小姓として25石の禄を与えられた。また、さらにその3ヶ月後には元々の馬廻役、禄100石へ戻されている。

 明治元年(1868年)に徳山藩の献功隊に入隊。同年十月(同年11月)に半隊司令(小隊長)として秋田に出陣した後、明治二年(1869年)の箱館戦争に参加し初陣を飾る。同年八月(同年9月)に兵部省御雇として仕官し、陸軍に入隊する。明治七年(1874年)の佐賀の乱には大尉として従軍し、戦傷を受けている。

 台湾総督に日清戦争終了後の防疫事務で才能を見いだした後藤新平を台湾総督府民政局長(後に民政長官に改称)に任命し、全面的な信頼をよせて統治を委任した。

 日露戦争開戦前には台湾総督のまま内務大臣を務めていたが、 明治三十六年(1903年)に参謀総長・大山巌から特に請われ、内務大臣を辞して参謀本部次長に就任する。日露戦争のために新たに編成された満州軍総参謀長をも引き続いて務めた。

 日露戦争後、参謀総長に就任。南満州鉄道創立委員長も兼務する。明治三十九(1906)年七月二十三日に児玉源太郎は薨去。五十四年の生涯を終えました。


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