高橋亀吉

概要

高橋 亀吉(たかはし かめきち、古い文書では「髙橋龜吉」)明治二十四(1891)年 辛卯(かのとう28)一月二十七日生誕ー昭和五十二(1977)年 丁巳(ひのとみ54)二月十日逝去。(八十六歳)は、経済評論家・経済史研究者。日本の民間エコノミストの草分け的存在です。新平価解禁派。文化功労者。

経歴

 明治二十四(1891)年辛卯(かのとう28)一月二十七日に山口県徳山村(現・周南市)に、船大工の長男として誕生。稼業の衰退から高等小学校卒業後に大阪の袋物問屋に丁稚奉公へ出ましたが、1年で辞めて朝鮮へ渡航します。日本人居留民相手の営業や販売、貿易実務・電信局の請負などに従事しました。

山口県周南市

 高橋亀吉は本格的に商売の勉強を志し、早稲田大学の講義録で旧制中学の内容をマスターしました。講義録を履修した校外生として優秀な成績を修めた後に、高等予科から早稲田大学商科に進学、大正五年(1916)年に卒業しました。恩師の伊藤重次郎から大学に残り商科の研究生を薦められたが、商科長の同意を得られず断念しました。

早稲田大学

 高橋亀吉は久原鉱業(現在のJXTGエネルギー)に入社して調査業務に従事しましたが、サラリーマンの生活には馴染めず、伊藤に再び相談してみたところ先輩の石橋湛山が主幹を務めていた東洋経済新報社を紹介され大正七(1918)年二月十九日に入社しました。当初、旧平価解禁説だった湛山を購買力平価説で説得した理由は、ニコライ・ブハーリンの『過渡的経済論』とグスタフ・カッセルの『世界の貨幣問題』に影響を受けていたからです。

東洋経済新報社

 高橋亀吉は東洋経済新報社入社直後に記者として欧米視察を経て『前衛』『マルクス主義』『社会主義研究』で資本主義研究を執筆しました。『東洋経済新報』編集長、取締役を経て、大正十五年(1926年)に退社。フリーとして活動を始めて、昭和七(1932)年十月に高橋経済研究所を創立しました。『高橋財界月報』を刊行して経済評論において先鞭をつけました。

高橋財界月報

 高橋亀吉は「新平価解禁四人組」の一人として、リフレーション政策を積極的に唱導しました。昭和研究会、企画院参与としてアジア・太平洋戦争下の政府の経済政策にも参画しました。

 高橋亀吉は終戦後に公職追放を受けましたが、資本・人員不足を理由に高橋経済研究所を解体して、新たに日本経済研究所創設に関わり、通称産業省顧問、産業計画会議委員(議長・松永安佐ヱ門)等を歴任しました。拓殖大学教授を昭和三十一年(1956年)から昭和四十八年(1973年)まで勤めました。昭和三十三年(1958年)に、拓殖大から経済博士号を授与されました。博士論文は「大正・昭和財界変動史」。

 高橋亀吉は昭和四十九年(1974年)に、文化功労者に選ばれました。主著には、『日本近代経済形成史』『私の実践経済学』等があります。昭和五十二(1977)年二月十日に高橋亀吉は逝去。戦後の日本の高度経済成長にエコノミストとして貢献した八十六年の生涯でした。

著作

日本近代経済形成史 第1巻 (日本語) 単行本 – 1968/1/1

高橋 亀吉 (著)

私の実践経済学 (日本語) 単行本 – 1976/1/1

高橋 亀吉 (著)

私の実践経済学はいかにして生まれたか (日本語) 単行本 – 2011/7/8

高橋 亀吉  (著)


三国志演義 第一巻
三国志演義 第二巻
三国志演義 第三巻
三国志演義 第四巻
三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

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