桂太郎

概要

 桂 太郎(かつら たろう)弘化四年丁未(ひのとひつじ44)十一月二十八日(1848年1月4日)生誕-大正二(1913)年十月十日薨去(六十五歳)は、江戸時代末期の長州藩士。明治時代の陸軍軍人、政治家。内閣総理大臣。階級は陸軍大将。位階勲等功級爵位は従一位大勲位功三級公爵。

経歴

 弘化四年丁未(ひのとひつじ44)十一月二十八日(1848年1月4日)に長門国阿武郡萩町、萩城下平安古(現、山口県萩市平安古)長州藩士馬廻役・桂與一右衛門(125石)の嫡男として誕生。

 幼少時に阿武郡川島村(現・萩市川島)に移り、万延元年(1860年)に藩の西洋式操練に参加して鼓隊に編入される。元治元年(1864年)に禁門の変などにより藩が存亡の窮地に立たされる中、七月に世子毛利元徳の小姓役となる。第二次長州征伐では志願して石州方面で戦う。

 戊辰戦争では奥羽鎮撫副総督澤為量(さわ ためかず)の参謀添役や第二大隊司令として奥羽各地を転戦し、敵情視察や偵察任務、連絡役など後方支援に従事した。

 明治三(1870)年八月、桂は帝政ドイツに留学した。但し、賞典禄を元手にした私費留学であったことから現地での生活はかなり苦しく、ヨーロッパ使節団のためドイツへ来訪した木戸孝允を訪ね、官費留学への待遇切り替えを依頼している。

 日進戦争では名古屋の大日本帝国陸軍第三師団長として出征した。台湾総督を経て、第三次伊藤内閣で陸軍大臣になり、続く第一次大隈内閣に次ぎ、第二次山縣内閣でも陸相とともに山縣の参謀格を務め、明治三十三年(1900年)に発生した義和団の乱では中国に軍を出動させた。

 明治天皇は桂に組閣を命じ、明治三十四(1901)年六月に第一次桂内閣が発足した。世人は「小山縣内閣」「第二流内閣」と揶揄したが、桂は批判に対して勅命が降下したのだから仕方が無い、というスタンスをとり続けた。 桂は首相就任と同時に予備役となるはずであったが、天皇の意向により現役であり続けた。桂は九月に小村寿太郎を外相に起用した。

 その後、桂は西園寺公望と交互に組閣して政権を担い、桂園時代(けいえんじだい)と呼ばれ、明治四十一(1908)年七月から同四十四年(1911)年八月に第二次内閣、大正元(1912)年十二月から同二(1913)年二月に第三次内閣を組閣し自身の最後の任期で政権を担う。

 大正二(1913)年十月十日に桂太郎は薨去。六十五年の生涯を終えました。


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