井上勝

概要

 井上勝(いのうえまさる)天保十四年癸卯(みずのとう40)八月一日(1843年8月25日)生誕 -明治四十三(1910)年八月二日薨去(六十六歳)は江戸時代末期の長州藩士。明治時代の官僚。栄典は正二位勲一等子爵。幼名は卯八(うはち)、通称は弥吉(やきち)。

経歴

 天保十四年癸卯(みずのとう40)八月一日(1843年8月25日)に長州藩士・井上勝行の三男として萩城下で誕生。幼名は卯八と名付けられた。

 天保十九年(1848年)に野村作兵衛の養嗣子となり野村弥吉と改名し藩校明倫館で学ぶ。開明派で蘭学重視の父に従い西洋学を学ぶことを志す。安政二年(1855年)に沿岸警備に駆り出された父と共に宮田(現在の神奈川県横須賀市)へ赴任、そこで伊藤博文と出会い親交を結ぶ。

 長州藩家老・周布政之助の工作で藩主毛利敬親から外国旅行を命じられ、文久三年五月十二日(1863年6月27日)に脱藩。後に長州五傑(長州ファイブ)と呼ばれることとなる井上馨・山尾庸三・遠藤謹助・伊藤博文とジャーディン・マセソン商会の船(チェルスウィック号)に密航し渡英。ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)にて鉱山技術・鉄道技術などを学ぶ。明治元年十一月(1868年12月)に帰国する。

 長州藩へ戻り実家と復縁し、父の名前から1字取り井上勝と改名する。明治二年(1869年)に木戸孝允の呼びかけに応じ新政府に出仕、大蔵省造幣頭兼民部省鉱山正となり(当時大蔵省・民部省は合併していた)、先に大蔵省へ出仕していた伊藤に仕え近代事業に携わることになる。

 大蔵省に勤務してからは伊藤や大隈重信といった鉄道敷設推進派らと共に1幹線3支線との構想を発表する。鉄道敷設に多大の功績を残した井上勝だったが、開通後の鉄道経営と明治二十三(1890)年十一月から開設された帝国議会の討論では精彩を欠くようになる。明治二十六(1893)年三月十七日に井上勝は松方が既に首相を辞任したこともあり、伊藤の説得に折れて鉄道庁長官を退官した。

 明治四十三(1910)年八月二日に井上勝は薨去。六十六年の生涯を終えました。


三国志演義 第一巻
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