岩村通俊

概要

 岩村通俊(いわむら みちとし)天保十一年庚子(かのえね37)六月十日(1840年7月8日)生誕 -大正四(1915)年二月二十日薨去(七十四歳)は、江戸時代末期の土佐藩士。明治時代の官僚、政治家。鹿児島県令や初代北海道庁長官などを務めた。号は貫堂。俳号は素水。栄典は正二位勲一等男爵。

経歴

 天保十一年庚子(かのえね37)六月十日(1840年7月8日)に土佐藩陪審の岩村英俊を父に、長男として土佐国(現、高知県)宿毛で誕生。酒井南嶺の下で学問を学び岡田以蔵の下で剣術を学んだ。明治二年(1869年)に明治政府に出仕して聴訟司判事、箱館府権判事開拓判官を務める。

 開拓使の首席判官であった島義勇の後を受け、通俊は明治四年(1871年)に開拓判官として札幌の開発継続に着手する。区画を京都に倣い条・丁目とする。この間、開拓大判官に昇り、増えてきた移住者や土木作業員のために遊郭の設置に乗り出す。

 明治六(1874)年七月に佐賀県令に任命され、同地で治績を挙げる。中央に召還され工部省出仕となる。明治十年(1877年)に西南戦争が勃発し、通俊は鹿児島県令として赴任した。明治十五年(1882年)に沖縄県令となる。

 沖縄県令の後、通俊は司法大輔となり、北海道開拓の重要性を政府に説き、北海道庁設置を働き掛ける。これが認められ明治十九年(1886年)に北海道庁が設置されることとなり通俊が初代長官に任命される。旭川市を「北京」とする構想をした。

 明治二十一年(1888年)に元老院議官に就任する。農商務次官を経て明治二十二(1889)年十二月二十四日に第一次山縣内閣の農商務大臣に就任する。明治二十九(1896)年六月五日に功により男爵を叙爵し華族に列せられる。大正四(1915)年二月二十日薨去。岩村通俊は七十四年の生涯を終えました。


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