久米邦武

概要

 久米邦武(くめくにたけ)天保十年己亥(つちのとい36)七月十一日(1839年8月19日)生誕 -昭和六(1931)年二月二十四日逝去(九十一歳)は江戸時代末期の佐賀藩で、近代日本の歴史学における先駆者。幼名を泰次郎、のち丈一郎。号は易堂。

経歴

 天保十年己亥(つちのとい36)七月十一日(1839年8月19日)に肥前国佐賀城下八幡小路に佐賀藩士久米邦郷の三男として誕生。安政元年(1854年)の十六歳の時、佐賀藩校弘道館に入り一歳年上の大隈重信と出会う。儒書や史書、箕作省吾著『坤與図識』(こんよずしき:1845年刊)などの和漢の世界地誌書を読む。

 久米と大隈は共に両者は、尊皇派の枝吉神陽(えだよししんよう)が結社した「義祭同盟(ぎさいどうめい)」に参加した。弘道館での成績は首席を誇り、訪れた十一代藩主鍋島直大(なべしまなおひろ)へ、論語の御前講義を行っている。

 明治四年(1871年)に久米は特命全権大使岩倉使節団の一員として欧米を視察。1871年11月12日に横浜出港、サンフランシスコ到着後、いろいろな役務の一つに枢密記録等取調兼各国の宗教視察も命じられる。

 帰国後に、太政官の吏員になり、独力で視察報告書を執筆。明治十一年(1878年)に全100巻の『特命全権大使 米欧回覧実記』を編集し、政府から500円という多額の報奨金を受けた。

 明治二十一年(1888年)に帝国大学教授兼臨時編年史編纂委員に就任、重野安繹らとともに修史事業に関与する。明治二十八年(1895年)に大隈重信の招きで東京専門学校(現、早稲田大学)に転じ、大正十一年(1922年)に退職するまで、歴史学者として日本古代史や古文書学を講じた。

 久米邦武は昭和六(1931)年二月二十四日に老衰により逝去。九十一年の生涯を終えました。

著作・評伝


三国志演義 第一巻
三国志演義 第二巻
三国志演義 第三巻
三国志演義 第四巻
三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

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