中岡慎太郎

概要

 中岡 慎太郎(なかおか しんたろう)天保九年戊戌(つちのえいぬ35)四月十三日(1838年5月6日)生誕 -慶応三年十一月十七日(1867年12月12日)逝去(二十九歳)は、志士(活動家)。陸援隊隊長。名は道正。通称、福太郎(福五郎とも)、光次、のち慎太郎。号、遠山・迂山など。変名は石川清之助(誠之助)など。

経歴

 天保九年戊戌(つちのえいぬ35)四月十三日(1838年5月6日)に土佐国安芸郡北川郷柏木村(現、高知県安芸郡北川村柏木)に北川郷の大庄屋・中岡小傳次と後妻ウシの長男として生まれる。安政元年(1854年)に経史を学び、翌年には武市半平太の道場に入門して剣術を学ぶ。安政4年(1857年)に庄屋の利岡彦次郎の長女・兼(かね十五歳)と結婚。文久元年(1861年)に武市が結成した土佐勤皇党に加盟して、本格的に志士活動を展開し始める。

 文久三年(1863年)に京都での八月十八日の政変に土佐藩内でも尊王攘夷活動に対する大弾圧が始まると、乾退助(板垣退助)は藩の要職を外されて失脚。中岡慎太郎は失脚した直後の乾(板垣)を訪ねた。中岡は藩外からの活動を行うため土佐藩を脱藩して長州藩へ亡命する。

 中岡は三条実美とも連絡を取りつつ脱藩志士たちのまとめ役として、薩摩と長州の志士たちの間を飛び回り、坂本龍馬や土方久元をも説き伏せて、慶応二年一月二十一日(1866年3月2日)(あるいは二十二日(3日)に薩長を和解させ、堀川通一条東の小松帯刀の屋敷において薩長同盟を締結させた。

 慶応三年十一月十五日(1867年12月10日)に中岡慎太郎は京都四条の近江屋に坂本龍馬を訪問中、何者かに襲撃され瀕死となる。慶応三年十一月十七日(1867年12月12日)に逝去。二十九年の生涯を終えました。

伝記・評伝


三国志演義 第一巻
三国志演義 第二巻
三国志演義 第三巻
三国志演義 第四巻
三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

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