川田小一郎

概要

 川田小一郎(かわだこいちろう)天保七年丙申(ひのえさる33)八月二十四日(1836年10月4日)生誕 -明治二十九(1896)年十一月十七日逝去(六十歳)は、実業家、政治家。男爵。三菱の創設者のひとり。

経歴

 天保七年丙申(ひのえさる33)八月二十四日(1836年10月4日)に 、土佐国土佐郡旭村(現、高知県高知市)で土佐藩郷士・川田家に誕生。正規の教育はまったく受けていないが、小一郎は理財の才を認められ、藩の会計方に登用される。藩営土佐商会で勧業・鉱山・通商の事務を担当する。

 明治三年(1870年)に小一郎は藩営の海運業社九十九商会の民営化に伴い、高級幹部(管事)として、石川七財と共に社主の岩崎弥太郎を補佐した。高島炭鉱など鉱山開発、共同運輸との海運業の覇権を巡る抗争など、常に先頭に立って三菱を率いた。

岩崎弥太郎

 明治十八年(1885年)の弥太郎死後、小一郎は新たに三菱を率いた岩崎弥之助を助け、鉱山業、造船業など基幹産業への集中投資を推進するなど、今日に至る繁栄の礎を築いた。のち、岩崎久弥がアメリカ留学を終えて副社長職に就任するや、世代交代の必要性を唱えて経営の第一線から退く。

岩崎弥之助

 明治二十二(1889)年九月三日に小一郎は松方正義の推薦で第三代日本銀行総裁に就任。川田の日銀総裁としての権勢は絶大で、「日銀の法王」と呼ばれた。株主総会の日以外は出勤せず、行員を牛込の私邸に呼びつけ、当時大蔵大臣であった渡辺国武も私邸に呼びつけたといわれる。明治二十三年(1890年)の経済恐慌を乗り切るなど、日銀の中央銀行としての機能を確立し、日清戦争時には財政・金融の維持に尽力した。帝国議会成立に際しては貴族院勅撰議員を兼任した。明治二十八(1895)年十月三十一日に男爵に叙せられた。

 明治二十九(1896)年十一月十七日に川田小一郎は六十年の生涯を終えました。


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