フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク(Friedrich August von Hayek)

概要

フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク( Friedrich August von Hayek 。1899(明治32)年 己亥(つちのとゐ36)5月8日生-1992(平成4)年 壬申(みずのえさる9)3月23日逝去。(92歳)は、オーストリア・ウィーン生まれの経済学者、哲学者です。オーストリア学派の代表的学者の一人であり、経済学、政治哲学、法哲学、心理学に業績を残しました。20世紀を代表する自由主義の思想家です。ノーベル経済学賞の受賞者です。

経歴

 1899年 オーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーンの学者の家庭に生まれました。父方はボヘミヤ貴族の家系です。1918年ウイーン大学に入学しました。1921年 法学博士号取得。1923年政治学で2つ目の博士号を取得しました。渡米し、ニューヨーク大学で研究助手として働きました。

 1924年 ウィーンに戻りました。1927年 オーストリア景気循環研究所の所長となりました。1929年 ウィーン大学の講師となりました。

 1931年 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE) での講演に呼ばれ、これ以降、LSEの教授職になりました。(以後18年間)。

 1933年 「貨幣理論と景気循環」を発表しました。1938年 英国の市民権を取得しました。1941年「資本の純粋理論」を発表しました。1944年 発表した「隷属への道」(The Road to Serfdom)は社会主義、共産主義、ファシズム、ナチズムが同根の集産主義(生産手段などの集約化・計画化・統制化などを進める思想や傾向)であると批判し、当時のベストセラーとなりました。

「隷属への道」(The Road to Serfdom)。ハイエクの主著。新自由主義の古典。第二次戦時下のイギリスでケインズ政策がナチズム、スターリニズム、社会主義と同様なべてファシズム(全体主義)にいたる道だと喝破し、大論争を巻きおこした問題作。自由を、市場を、擁護するその思想は、時代を超えて読み継がれ、サッチャー、レーガン、そして小泉構造改革にまで影響を与えていると言われています。

 1948年 「個人主義と経済秩序」を発表しました。1950年シカゴ大学の社会科学ならびに道徳科学の教授となりました。1974年 ノーベル経済学賞を。授賞しました。

 1991年ブッシュ大統領により、アメリカの民間人へ与えられる最高の栄誉賞である大統領自由勲章を受章しました。1992年 逝去の報に際して、ブッシュ大統領は直ちに追悼声明を発表し、「現代の最も偉大な思想家の一人」と称しました。

 1930年にジョン・メイナード・ケインズは、Treayise of Money(『貨幣論』)を刊行しており、この後ハイエクとケインズは景気循環を巡る論争へと突入することになりました。この論争はハイエクの当時所属していたLSEとケインズを擁するケンブリッジ大学とのより大規模な論争の一局面でありました。

 ケインズが亡くなった後、ハイエクはケインズの妻であるリディア夫人に「私が知っている中で唯一、真の偉大な人物であり、限りない尊敬の対象だった。彼のいない世界中は、はるかに色褪せたものになってしまうだろう」と手紙を送っています。その後「うぬぼれた考えと思われるだろうが、私は自分を論争している二大経済学者のうちの一人だと知られていたと思う。しかし、彼は亡くなって聖人となり、私は『隷従への道』を出版し評価を落とした。この本によって状況は変わってしまった」と述べています。

 晩年のハイエクは「私が一番後悔しているのは、ケインズの貨幣論への批判を再開できなかったことではなく、ミルトン・フリードマンの危険な方法論(理論による予測)を攻撃する機会が得られなかったことである」と述べていました。1992年逝去されました。ケインズをライバルとした92年の生涯でした。


三国志演義 第一巻
三国志演義 第二巻
三国志演義 第三巻
三国志演義 第四巻
三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

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