有栖川宮熾仁親王

有栖川宮熾仁親王

概要

 有栖川宮 熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう)天保六年乙未(きのとひつじ32)二月十九日(1835年3月17日)生誕 -明治二十八年(1895)年一月十五日薨去(五十九歳)は、江戸時代末期の公家。明治時代の皇族、政治家、軍人。号は初め「泰山」、後に「霞堂」。

経歴

 天保六年乙未(きのとひつじ32)二月十九日(1835年3月17日)に有栖川宮幟仁親王(ありすがわのみや たかひとしんのう)の第一王子として誕生。幼名は歓宮(よしのみや)。生母は家女房の佐伯祐子。

 和宮 親子内親王(かずのみや ちかこないしんのう)と婚約していたことで知られる。だが和宮との婚約は徳川幕府の権力失墜に伴い公武合体を余儀なくされた幕府が公武合体を国内外に誇示するための実績として和宮は降嫁し、徳川将軍第十四代徳川家茂と結婚した。

和宮 親子内親王
徳川家茂

 明治維新後は陸軍軍人として明治天皇を支え、王政復古による天皇中心の明治政府樹立において、政務を統括する最高官職である三職の総裁を務めた。明治二十八年(1895)年一月十五日薨去。五十九年の生涯を終えました。

伝記・評伝

幕末 戦慄の絆――和宮と有栖川宮熾仁、そして出口王仁三郎


三国志演義 第一巻
三国志演義 第二巻
三国志演義 第三巻
三国志演義 第四巻
三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

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