前原一誠

前原一誠

概要

 前原 一誠(まえばら いっせい)天保五年甲午(きのえうま31)三月二十日(1834年4月28日)生誕-明治九(1876)年丙子(ひのえね13)十二月三日逝去(四十二歳)は、江戸時代末期の長州藩士。明治時代の参議、兵部大輔。諱は一誠。通称、は八十郎、彦太郎。維新の十傑の一人。 

経歴

 天保五年甲午(きのえうま31)三月二十日(1834年4月28日)に長門国土原村(現、山口県萩市)で長州藩士・佐世彦七の長男として誕生しました。前原氏を相続しました。

 安政四年(1857年)に久坂玄瑞(くさか げんずい)や高杉晋作らと共に吉田松陰の松下村塾に入門しました。その後長崎に出て洋学を学び、萩に戻り、藩の西洋学問所で学びました。

久坂玄瑞
高杉晋作
吉田松陰
松下村塾

 文久二年(1862年)に脱藩しました。文久二年一月十五日(1862年2月13日)に坂下門外の変が起き、幕府で公武合体を進めていた老中の安藤信正が失脚しました。安藤の失脚により、長州藩内では攘夷派が勢力を盛り返し、長井雅樂の排斥運動が激しくなりました。前原は久坂らと共に長井の暗殺を計画しました。

安藤信正
長井雅樂

 高杉晋作や前原一誠が率いる正義派軍部が反旗を翻し、軍事クーデターが成功したため、俗論派政権による政治が終わりました。前原らは倒幕活動に尽力しました。第二次長州征討では小倉口の参謀心得として参戦しました。明治元年(1868年)の戊辰戦争では北越戦争に出兵し、参謀として長岡城攻略戦など会津戦線で活躍しました。

 明治維新後は越後府判事や参議を勤めました。大村益次郎の方針である「国民皆兵路線」(徴兵制)に反対して木戸孝允と対立しました。前原は故郷の萩に隠棲し、明治九(1876)年十月下旬萩で反乱を起こしました。

大村益次郎
木戸孝允

 この時熊本神風連の乱、秋月の乱が引き起こされ、東京でも思案橋事件が起きましたが、いずれも短期間に鎮圧されました。前原ら幹部は市街戦の戦況不利を見て、天皇への諌奏のため、海路上京を企てたが、島根県宇龍港(現大社町)に入港したところを、全員捕縛されました。

 前原一誠は萩に特設された司法省萩臨時裁判所の裁判にかけられ、明治九(1876)年十二月三日に処刑されました。四十二年の生涯でした。

伝記・評伝

あゝ東方に道なきか―評伝 前原一誠

前原一誠年譜

萩の乱―前原一誠とその一党 (1972年)

前原一誠伝 (1985年)


三国志演義 第一巻
三国志演義 第二巻
三国志演義 第三巻
三国志演義 第四巻
三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

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