東久世通禧

東久世通禧

概要

 東久世 通禧(ひがしくぜ みちとみ)天保四年甲午(きのえうま31)十一月二十二日(1834年1月1日)生誕 – 明治四十五(1912)年壬子(みずのえね49)一月四日薨去(七十八歳)は、江戸時代末期の公家。明治の政治家。

経歴

 天保四年甲午(きのえうま31)十一月二十二日(1834年1月1日)に東久世通徳(ひがしくぜみちなる)の子として京都で誕生しました。

 文久三年八月十八日(1863年9月30日)に八月十八日の政変によって、朝廷の実権が尊皇攘夷派から公武合体派に移りました。東久世通禧は三条実美らとともに長州に逃れました(「七卿落ち」)。元治元年(1864年)に長州から大宰府に移されました。

三条実美

 慶応三年十二月九日(1868年1月3日)に明治天皇より王政復古の大号令が発せられました。通禧は復権を果たしました。慶応四年一月十七日(1868年2月10日)に外国事務総督となり、明治政府最初の外交問題である神戸事件の対応責任者となり伊藤博文と共に外国と協議しました。

明治天皇
伊藤博文

 慶応四年三月十九日(1868年4月11日)に横浜裁判所総督となりました。通禧の在任した半年の間に神奈川裁判所総督、神奈川府知事と名称が変遷しました。

 明治二年八月二十五日(1869年9月30日)に第二代開拓長官に任命されました。同年九月二十五日(同年10月25日)に開拓使吏員、農工民約200人をともない、イギリスの雇船テールス号で箱館に帰港しました。

 明治四年十月十五日(1871年11月27日)に侍従長に転じました。同年12月23日(同年11月12日)から岩倉使節団の理事官として随行しました。

  明治四十五(1912)年一月四日に東久世通禧は薨去。七十八年の生涯を終えました。

東久世通禧日記 上巻


三国志演義 第一巻
三国志演義 第二巻
三国志演義 第三巻
三国志演義 第四巻
三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

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