カール・マルクス( Karl Marx)

概要

カール・マルクスKarl Marx) 1818(文化15・文政元)年戊寅(つちのえとら15)5月5日-1883(明治16)年3月14日逝去。(64歳)は、ドイツ・プロイセン王国出身の哲学者・思想家・経済学者・革命家。社会主義および労働運動に強い影響を与えた。フリードリヒ・エンゲルの協力を得て、マルクス主義(科学的社会主義)を提唱した。

カール・マルクス( Karl Marx)の経歴

 マルクスはユダヤ教のラビ職(ユダヤ教の宗教的指導者)であり弁護士の父とオランダ出身のユダヤ教徒の母との間に次男として誕生する。兄が夭折したため、マルクスが事実上の長男として育つ。

 1835年10月、ボン大学に入学。法学・文学・歴史を学ぶ。1836年10月にベルリン大学に転校。哲学に強い関心を示す。ヘーゲル左派の思想に傾倒していく。

 1841年4月15日、マルクスが23歳の時にイェーナ大学から哲学博士号を授与される。大学教授になる夢を抱く。プロセイン政府による思想弾圧により、大学教授職と官職も絶望的となる。

 マルクスは1842年5月に、ボン(後にケルン)へ移住し、ヘスやバウアーの推薦で『ライン新聞』に参加して論文を寄稿するようになる。同年10月にライン新聞対して当局は反政府・無神論的傾向を大幅に減少させなければ翌年以降の認可は出せない旨を通達した。編集長は解任され、マルクスが編集長となる。しかし1943年3月に『ライン新聞』は廃刊となった。

 『ライン新聞』を潰されてマルクスはむしろすっきりしたようだ。ルーゲへの手紙の中で「結局のところ政府が私に自由を返してくれたのだ」と政府に感謝さえしていた。『ライン新聞』編集長として様々な時事問題に携わったことで自分の知識(特に経済)の欠如を痛感し、再度勉強に集中する必要性を感じていた。

 マルクスは『独仏年誌』に寄稿された論文のうち、エンゲルスの『国民経済学批判大綱(Umrisse zu einer Kritik der Nationalökonomie)』に強い感銘を受ける。エンゲルスは、アダム・スミス、リカード、セイなどの、「古典派経済学」を批判する。

 エンゲルスに感化されたマルクスは、経済学や社会主義、フランス革命についての研究を本格的に行うようになる。

 マルクスは1848年の2月革命直前までに小冊子『共産党宣言』を刊行した。カール・マルクスは1883年3月14日に逝去。64年の生涯を終えた。

 マルクスは、1849年8月27日に船に乗り、イギリスに入国しました。ロンドンの大英博物館に行き、そこで朝9時から夜7時までひたすら勉強しました。生計はエンゲルスからの仕送りでした。

 マルクスの最初の本格的な経済学書である『経済学批判』は、1850年9月頃から大英博物館で勉強しながら少しずつ執筆を進め、1857年から1858年にかけて一気に書きあげました。1859年1月に原稿は完成し、ドゥンカー書店からこれを出版しました。

 1866年11月に、ハンブルクのオットー・マイスネル書店から『資本論』第1巻を出版しました。

 マルクスは不健康生活のせいで以前から病気がちでしたが、1873年に肝臓肥大という深刻な診断を受けました。パリからロンドンへ帰国した後の1881年12月2日に妻イェニーに先立たれました。マルクスの悲しみは深かく、「私は病気から回復したが、精神的には妻の死によって、肉体的には肋膜と気管支の興奮が増したままであるため、ますます弱ってしまった」と語りました。

 1883年1月12日に長女イェニーが病死しました。その翌日にロンドンに帰ったマルクスでしたが、すぐにも娘の後を追うことになりました。3月14日昼頃椅子に座ったまま死去しているのが発見されました。64歳の波乱万丈な生涯でした。


三国志演義 第一巻
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三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
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