税所篤

                      税所篤

概要

 税所篤(さいしょあつし)文政十年丁亥(ひのとい24)十一月五日(1827年12月22日)生誕- 明治四十三(1910)年六月二十一日薨去(八十二歳)は、薩摩藩士、官僚。子爵。通称は喜三左衛門、容八、長蔵。号は巌舎、鵬北。初名は篤満、後に篤信とも名乗る。

経歴

 文政十年丁亥(ひのとい24)十一月五日(1827年12月22日)に税所篤は薩摩藩士の父・税所篤倫の次男として誕生する。改革派である精忠組の創設メンバーとして幼少期からの親友だった西郷隆盛や大久保利通、吉井友実らと行動を共にした。

西郷隆盛
大久保利通
吉井友実

 藩主・島津斉彬に認められて勘定所郡方、次いで三島方蔵役に任じられる。幕府がオランダ海軍士官を招いて長崎海軍伝習所をつくると斉彬は薩摩藩から十数名の藩士を選抜して派遣した。税所はその内の一人に選ばれた。薩摩藩からは川村純義(かわむらすみよし)や五代友厚(ごだいともあつ)なども派遣された。

島津斉彬
川村 純義
五代友厚

  安政五年十一月十六日(1858年12月20日)に西郷隆盛が僧の月照と共に鹿児島湾に入水した際に蘇生した西郷が意識を取り戻すまで税所は西郷の枕頭で看病をした。月照の四九日法要は吉祥院で営まれて以来しばしば吉祥院は有志たちの密談所として利用されるようになる。

 税所は大久保利通の建白書と精忠組の名簿を差し挟んだうえで、兄・乗願を通じて島津久光に献上した。税所の助力を通じて大久保は久光の知遇を得ることとなり、以来藩の要職に抜擢されることとなる。奄美大島に流されていた西郷の召還が実現したのは久光の信任を得ていた税所や大久保らの進言に依る所があった。

島津久光

 元治元年七月十九日(1864年8月20日)に禁門の変が勃発する。税所は小松帯刀率いる薩摩軍の参謀として一隊を率いて参戦し、武功をあげた。第一次長州征討では西郷隆盛、吉井友実と3人で長州藩三家老の処分を申し入れるなど活躍した。

小松帯刀

 新政府では大久保の推薦を受ける形で内国事務権判事や当時まだ政情不安定であった西日本各地の県令、知事を歴任する。明治六年の政変以降は基本的に政府側および大久保寄りの行動をとる。政治家としての税所は一貫して天皇家の権威高揚および京都、奈良等における伝統文化の保護育成に重点を置いた。

 明治四十三(1910)年六月二十一日に税所篤は薨去。八十二年の生涯を終えた。


三国志演義 第一巻
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